群馬県在住、95歳になる稲村米治さんは1970年に約5000匹の昆虫の死骸を使って新田義貞像を制作し、その後はさらにスケールアップした約2万匹の死骸を使った千手観音像を6年を掛け作り上げた。長き時を経た今も、新田義貞像は自宅に、千手観音像は地元の公民館に飾られている。
「超個人的発想から生まれた不思議な表現の芸術」を展示する広島県「鞆の津ミュージアム」が主催する「昆虫観音巡礼ツアー」に参加し、類を見ない昆虫像の秘話を米治さんに聞いてみた。
遠く新潟、兵庫からも参加があったこの日のツアーは、最寄りの駅にご家族が車で迎えに来てくださり、まずは米治さん宅を訪ねてスタート。新田義貞像を横に米治さんが昆虫像を作ることになった経緯を語る。
「これはもう45年前になります。今は河川改修したり、木も少なくなってクワガタとかカブトムシもいなくなっちゃいましたけど、この辺は虫がよくいたんです」
米治さんの長男・茂さんによれば、小学校の宿題で出された昆虫採集の標本作りを米治さんが手伝ったのが昆虫像の元々のルーツ。「子どもの手伝いが段々エスカレートしたんです」と茂さんは笑う。最初は集めていただけだったが、それが次第に平面、立体と昆虫を使った造形が始まり、まずは鎧兜を作ったのを記憶していると茂さんは話す。しかし、この段階ですでに宿題の域は超えていたため子どもたちは離れてしまい、米治さんは独自の制作に没頭していく。だが、そこは昆虫の死骸を素材とするため、さまざまな苦労が尽きなかったと米治さんはいう。
「夏のことだから防腐剤を入れたり殺虫剤をやっても、すぐに腐って虫がついて臭くなっちゃってダメなんです(笑)。あと虫はどこを持っても強くないから、ちょっとしたことで足が欠けたりしまったり」
左右対称になるよう、虫の数と大きさ、形・色を揃えるのも大変な作業だったと振り返る。昆虫像はまず土台となる部分を水草で編み、そこに昆虫を1体ずつピンで刺していく。土台を藁にするとピンが酸化し溶けてしまうが、家の近くで採れた水草を土台にするとピンは酸化することがなく、他にも米治さんが鉄道会社勤務で夜勤明けに虫取りへ行くことができたり、家で牛小屋にしていた広々としたスペースがありそこを作業場にすることができたり、偶然のようではあるが様々な条件が揃い昆虫像が成立した。
まず夏場は昆虫を集め、そして防腐剤を施し死後硬直で縮まった虫の形を手で広げ保管しておく。その後、虫がいなくなる秋口から組み立てを開始。また翌年の夏になると再び昆虫を集めて加工し、秋から冬になると組み立て――そんな作業を3シーズンの間毎日繰り返し、新田義貞像は完成した。
「これを作っても虫が余っていて、それを捨てるのもなんだから、もう1つ作って終わりにしようと思って考えたのが、千手観音なんです。別に仏様を信仰している訳じゃなかったんだけど、クワガタが手の部分になることを思いついて、それをたくさん見てもらおうって千手観音を作ったんです」
千手観音像は現在も板倉町中央公民館に展示されており、公民館を訪れればその姿を拝むことができる。高さ約180センチ、ケースを入れると2メートルになろうかという大きさで、膨大な数の昆虫が緻密に配置された姿は思わず見入らせる力があり、ツアー参加者も見る位置・角度を度々変え、スマホとカメラのシャッターをいつまでも切っていた。
昆虫像を作る以前、米治さんは創作活動やもの作りの類はしておらず、「無趣味で、逆に他の趣味がないからこれだけ没頭できたのでは」とは茂さんの弁。ツアーを主催した「鞆の津ミュージアム」のアートディレクター櫛野展正さんによれば、こうした創作が戦争体験などのショックによらず、子どもたちの昆虫採集の手伝いという日常・家族的なものから生まれてくるのは極めて珍しいのだという。繊細な作りで像が移動に耐えられないためままならないが、遠くイギリスのミュージアムも米治さんの作品に興味を示したという。
「そんなに見てもらうほどのものじゃないし、子どもの虫遊びというか、大人がやるようなものじゃないから恥ずかしいんだけど、まぁ珍しいから。せっかく見に来てくれるんだったらいっぱい見てもらって。正式な仏像、みなさんの慰めや苦しみを取り払ってくれるような観音様ではないけど、虫がいつまでも見てもらえるように。千手観音像にしたのはそれがあったんです」
子どもたちの手伝いに始まり、いつまでも虫が見てもらえるようにと思い作った昆虫像。米治さんの慈愛の心が、その膨大で時間の掛かる作業の根底にあるように思われた。
(長谷川亮)
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