ほとんど家がなく、膨大な数の空き地(空き区画)が今も残されている「限界ニュータウン」「限界分譲地」の風景は、詳しい事情を知らない人が目にした場合、立地の悪さから大量の空き地が売れ残っている結果であると誤解しがちだ。

 しかし、僕が調べている限り、買い手もつかないまま放置され続けている限界ニュータウンというのはむしろ例外的な存在で、ほとんどの場合、一度は完売したうえで、その後の需要が続かず放置されているものである。

 当初の購入者は法人の場合もあるが、分譲地、別荘地の更地に関して言えば、個人の購入者が大半だ。今となっては、1万円で売れれば御の字というケースもあるこれらの分譲地を、今よりもずっと情報収集手段も限られていた1970年代、80年代に購入していたのは、いったいどんな人たちだったのか。

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ライター:吉川祐介

2017年、八街市周辺の物件探しの過程で数多く目にした、高度成長期以降の投機型分譲地についてのブログ「URBANSPRAWL -限界ニュータウン探訪記-」を開設。その後、YouTubeチャンネルの解説と自著の出版を経て同テーマに関する発信を生業にしています。
X:@yuwave2009


 僕自身、限界分譲地を扱う業者ではないので、日常の仕事の中で絶えず所有者の声を聞く環境にはないのだが、それでも今のお仕事を通じて、直接であれ間接であれ、そうした所有者の苦悩を耳にする機会は幾度となくあった。「限界分譲地」の取材を続けていく中で、僕の中で一番変化したのは、そんな土地所有者に対する印象だと思う。

 もともとは個人的に使うための土地探しからスタートした僕も、これらの空き地に対しては、限界分譲地で暮らす住民の多くがそうであるように、「高値で買ってしまって、その値段が忘れられず、売るに売れない人の土地」という一面的なイメージしか持っていなかった。もちろん、そういう人もいないわけではないのだが、所有者一人ひとりに固有の事情があり、話はそんな単純なものではない。

 当初は、限界分譲地の不動産を買いたい人との情報交換のために始めた執筆活動だったが、最初の頃の反響はその思惑とは真逆で、たまに舞い込む相談の大半は、家族が昔買ってしまった分譲地の処分方法やその苦悩に関する話だった。ここで一つのケースを紹介しよう。

今なお多くの空き地が残るかつての投機型分譲地。区画ごとに異なる所有者が存在し、その処分に思い悩む人が少なくない。
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筆者が無償で引き取った、三重県の83歳・Aさんが手放せなかった分譲地

 近畿地方のある別荘地で暮らすAさんは現在83歳。長く大阪府内で公務員の職に従事し、定年を迎え、現在の住まいがある別荘地に“終の棲家”を構えて隠居している。奥様もご健在で、子どもたちはすでに独立している。

 一見すると優雅な隠居生活を送るように見えるAさんだが、ひとつだけ心残りだったのが、三重県旧上野市(現・伊賀市)にある、今は雑木林と化した自分の所有地の始末だった。

 まだ定年を迎えるずっと前、若き日のAさんは1977年に、問題の三重県伊賀市の分譲地を購入していた。当時、一般の分譲マンション住まいだったAさんは、「ニューハイツ白鳳台」なる分譲地名で販売された180平米のその土地を、老後の移住先の住宅用地として購入したのだと話していた。

 「限界分譲地」を、投機ではなく、老後の移住先として購入したと語る所有者は少なくない。「家いちば」などの不動産の個人売買サイトでも、これらの分譲地の売地の解説には、「いずれ家を建てて移住するつもりでした」などと書かれているものを時おり見かける。

 その言葉を疑うわけではないのだが、おそらく多くの方は「不動産投資に失敗した」などとは言いたくないだろうし、いくら土地の値段が右肩上がりの時代とはいえ、実際にそこで家を建てて暮らし始めるまでの間の土地の管理や、万が一の不慮の事態などまで考慮していたのだろうかと思う。

Aさんが購入した「ニューハイツ白鳳台」分譲地。分譲地内の私道を含め、ほぼすべての区画が雑木林と化している。

 いずれにしても確実に言えるのは、20年以上先の定年退職に備えて土地を買うというのは、つまり土地の値段は上がり続けるものであり、20年後にはますます高くなって手が届かなくなってしまうという大前提が、単なる一個人ではなく社会全体の共通認識であったということだろう。高度成長期に競って郊外のマイホームを購入した人々にも、「いま家を買わなければ、いずれ買えなくなってしまう」という焦燥感があった。

 当時の購入価格は聞かされなかったが、1977年ごろの価格水準から推察して、200~300万円程度の価格であったと思われる。ところがAさんによれば、購入後、その分譲地はいっさい住宅地として使われることなく、数年前に改めて見に行った時には、すでに雑木林と化して、とても家が建てられる状態ではなくなっていたという。

「ニューハイツ白鳳台」の分譲図面。
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怪しげな煽り広告、分譲後の造成工事協力依頼…… 譲り受けた奇妙な資料の数々

 そのあたりの経緯については、Aさんはあまり詳しく話さなかったが、結局その分譲地は、僕がいったん無償で引き取って処分することになったので、権利書と共に当時の販売図面や資料類なども一通り譲り受けて、僕が代わりに調べることになった。固定資産税も発生していないその山林について、すでに別の別荘地に住まいを確保したAさんは何の未練もなく、子どもに遺さずに済むのであれば無償でも全然かまわないとのことだった。

 資料の中身は、当時の売渡証書や販売区画図が主で、購入金額を示す売買契約書はなぜか残されていなかった。『脚光あびる「上野市ニュータウン」』なる見出しが躍る広告も含まれていて、その広告自体はAさんの所有する分譲地のものではなかったが、投機性を前面に打ち出した、いかにも怪しげなものである。結局実現していない「上野市南部都市開発基本構想」を根拠に「長期的な財産づくりにもぴったり」「将来性は抜群に有望」などと煽っている。なお、開発計画地として挙げられている「三重県上野市下神戸」は、今日においても大部分が山林であり、過去に大規模な開発が行われた形跡はない。

怪しげな「上野市ニュータウン」の販売広告(『泉北コミュニティ』1978年1月15日号)。

 資料の中には、Aさんが購入した「ニューハイツ白鳳台」を分譲した宅建業者からの直筆の手紙も何通か含まれていた。販売した分譲地の造成工事を行うにあたって、関係機関への許可申請が必要なので購入者へ協力を呼びかけるものだが、これはどう考えても奇妙なものだ。

 何らかの許認可が必要な地域において宅地造成・分譲を行う場合、普通は分譲前に申請や工事を済ませてから販売を行うものだと思うが、なぜすでに売却済みの分譲地にかかる許認可申請を、もはや分譲地の所有者でもない販売業者が改めて行う必要があったのだろうか。

 Aさんから譲り受けた分譲地の現地へ足を運んでみても、手紙に同封されていたと思われる計画図通りの造成工事が行われた形跡はなく、辛うじて側溝が雑木林の中に埋もれているのを確認できただけである。この辺りの事情については、Aさんも何も語っていなかったので真相は不明だが、推測するに分譲地の販売業者は、本来は分譲前に必要だった許認可申請を省略したまま分譲を行ってしまい、その後始末に追われていたのではないだろうか。

なぜか分譲後にAさん宛てに送付されてきた「完全造成工事の実施」のお知らせ。
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17年後の“線引き”も理解できず…… “売りっぱなし”が引き起こす購入者の不利益

 そして、もう一つ残されていたのが、Aさんが購入した「ニューハイツ白鳳台」を含めた一帯が、都市計画区域における「市街化調整区域」に指定された際の、旧上野市役所とやり取りした申請書類の控えであった。

 Aさんが「ニューハイツ白鳳台」の土地を購入した1977年の時点では、上野市においてはまだ「市街化区域」と「市街化調整区域」の区分けを定める区域指定(「線引き」という)は行われていなかった。ところが、野放図な乱開発が横行していた上野市は1992年に線引きを行い、Aさんの土地は原則として、建築物が建てられない「市街化調整区域」に指定されてしまったのだ。

 法規制が緩かった1970年代に分譲された土地が、その後「市街化調整区域」に指定されたり、あるいは「都市計画区域」に指定されたりして、建築基準法が定める接道義務が課されてしまって建築不可になってしまったケースは数限りなくある。もともと投機目的の土地分譲は、そうした規制の緩い小規模自治体で集中的に行われており、地域の開発計画を根本的に狂わす恐れのある乱開発を防ぐために、すでに販売が完了していた分譲地を巻きこむ形で、あとになって規制が加えられてしまったのである。

旧上野市から送付された線引き実施のお知らせ。

 もちろん、これは土地の価値に重要な影響を与える規制であるため、規制開始の時点ですでにその地域に住居があり、暮らしている住民に対しては、一定の緩和要件や救済措置がある。ところがAさんは、過去に上野市で暮らしたこともなければ、自分の土地に家を建てたこともない。Aさんに限らず、他の「ニューハイツ白鳳台」の土地の購入者も、誰一人として住居を建築していない。現在の「ニューハイツ白鳳台」はすべての区画が竹やぶに覆われ、事情を知らない人が現地を見ても、そこが分譲地であったことも分からないだろう。

 そのため「ニューハイツ白鳳台」においては、結局そうした特例措置もいっさい機能せず、現在は建築許可が下りない、ただの「山林」になってしまった。

 もっとも、「宅地」ではなく「山林」になったおかげで、評価額が安すぎて固定資産税が発生していなかったというメリットもあったが、建物が建てられない60坪足らずの「山林」など、まったく値段がつかないし、好き好んで扱う宅建業者もない。そのためAさんは、無用になった伊賀市の山林を、何とか子どもには相続させまいと思いつつも、どうやって手放せばよいのかもわからず、長年所有し続けていたのだ。

まったく手入れもされず、すべての区画が放置され続けている「ニューハイツ白鳳台」。高齢の所有者がすべて自力で手続きを進めて手放すのは困難である。

 Aさんは、自分の土地が「市街化調整区域」に指定された際、いちおう上野市側の指示に従って、いくつかの申請書類を提出している。しかし、その件についてAさんは何も語っていなかったし、残された申請書類を見ても、おそらくAさんは、自分が所有する土地にどんな規制が加えられたのか、正確に把握していなかったのではないかと思う。上野市における線引きの際にAさんが行った申請は、そもそも上野市内に住居を所有していないAさんには関係ないものであった。

 これは無理もない話で、上野市で線引きが行われたのは、Aさんが土地を購入してから17年後のことである。その間、別に他の区画の購入者との交流があったわけでもなく、当初「ニューハイツ白鳳台」を分譲した会社との付き合いもない。上野市からの通知はあったものの、不動産業とは無縁の職種についていたAさんには、その規制内容について詳細に検討できる機会がなかったのだ。

 おそらくAさんに限らず、自分が所有する土地について、新たに施行された法規制を正確に把握する機会もないまま所有し続けている人は相当いるのではないだろうか。投機型分譲地は、その大半が売ったらおしまい、売りっぱなしの商品であり、購入者へのアフターフォローを行ってきた会社など皆無である。

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自分の土地をどうすればいいか分からない…… 悪徳業者も狙う行き場のない“負動産”たち

 Aさんの土地は、僕が動画制作のための材料として引き取ることになったのだが、「ニューハイツ白鳳台」の他の土地の所有者に関しては、僕も連絡を取っていないし、今後なにか変化が起こる兆しもない。旧上野市における線引きから34年が経過し、今は伊賀市独自の建築条例に切り替わったが、「ニューハイツ白鳳台」に関しては、今も変わらず建築不可のままである。そしておそらく、その伊賀市の建築条例の存在すら知らない所有者が大半なのだろう。

 高度成長期やバブル期の時代に、今では信じられないような価格の土地を高値づかみしてしまい、値段が暴落した現実を受け入れられず手放せない、というストーリーも考えられるかもしれない。しかし、僕が実際に会って話した分譲地の所有者の多くは、購入者本人であれ相続人であれ、高値で売れることなどまったく期待しておらず、手放せるのであればタダでも構わないと考えていた。

 ところが、どんな形であろうと、専門の業者に依頼すればタダで済むことはないし、不動産に関心がなければ、その専門業者を探し当てることも困難である。多くの所有者は欲をかいているのではなく、自分の土地をどうすればよいのかもわからず持て余しているのであって、ともすれば、それが一部の悪徳業者につけ入られる隙を与えているのである。

 僕は分譲地の話が専門だが、現代の日本において、値段がつけられず、処分が困難になっている不動産は分譲地に限らない。地方や田舎の古い空き家、手入れされなくなった農地や山林、老朽化が進んだマンションなど、今や所有者側がお金を払って手放す「負動産」は枚挙にいとまがない。ある程度の金銭的負担はやむを得ないにせよ、もう少し処分の手段が広く周知されない限り、行き場もなく放置されてしまう「負動産」は、ますます増加していくことになるだろう。