人間VSコンピュータオセロ 衝撃の6戦全敗から20年、元世界チャンピオン村上健さんに聞いた「負けた後に見えてきたもの」(3/3 ページ)
負けたことで残せる「歴史」
――中でも印象に残った言葉はありますか?
将棋ファンの同僚からの一言です。彼は慰めてはくれたのですが、他の場面で「まあ、将棋は味とか含みがあるからね」とも言われました。
つまり「味や含みといった微妙な駆け引きのある将棋はオセロより複雑で、だからコンピュータに負けることはないだろう」という意味を言外に感じました。もちろんオセロにも味や含みはあるし、将棋に劣らない複雑なゲームなのですが、その場で反論はしませんでした。
囲碁将棋ファンが持つオセロへ対する誤解は根強く、1つも2つも下に思われていたので。それをその場で正すのは難しい。「いずれ時が来れば分かりますよ」と、心の中でつぶやきました。20年を経て、それは全く予想通りになっていると思います。
また、「チェスと同じ年にオセロが負ける」ことで、歴史に名が残ると思いました。「負けた」という歴史を刻むことは、複雑な知的ゲームとしてのオセロの立場を守ることにつながると。
例えば、これがチェスが負けた5年後であれば、オセロにおける人間とコンピュータの力の差がさらに広がり、誰の目にも明らかになって、チャンピオンとソフトの対戦はそもそも企画されなかったでしょう。そういう意味ではギリギリで滑り込んだと思っています。
あの年(1997年)しかなかった。現にいま、盤上ゲームにおけるAIとの歴史を語る際には、囲碁、将棋、チェスとセットで扱ってくれることも多いのです。あのつらい敗戦は、4大頭脳ゲームの1つとしてオセロが認知されることに明らかに貢献していますね(笑)。
最後まで人間の負けを認めなかった? オセロの父・長谷川五郎さん
――今はもう「コンピュータの方が強い」ことをオセロ界の皆さんも認めているのですか?
はい。誰でもPCを持てるようになって、ロジステロ並のソフトを入手できるようになりました。代表的なのは「WZebra」(ゼブラ)というソフトで、弱い設定でも全然勝てません。それでコンピュータが人間のはるか先に行っていることを全てのオセロ選手が実感したと思います。今のソフトは、ロジステロよりもさらに強いですから。
ただ去年亡くなったオセロの生みの親・長谷川五郎さんは、私とロジステロとの対局を最後まで、正式な対戦だと思っていませんでした。最後まで人間が負けたことを認めてなかったのではと思います。心の中では分かっていたと思いますが、正式に日本オセロ連盟としては認めたくなかったのでは。私一人で対戦の話を進めて、連盟にその許可などはもらっていなかったので。ただ許可をもらおうとしても、絶対に下りなかったと思います。
コンピュータの進歩で「指し手が狭められる」弊害も
――新手(新しい戦法の手)はやはりコンピュータから生まれることが多いですか?
最近は明らかにコンピュータ由来が多いです。今は人間が試行錯誤する必要がなくなってきてしまった。コンピュータ上にあらわれる評価値を見て、一番自分側の評価が高い手を選ぶという形で、人間の力で序盤の新たなる手が生み出されることが減りました。
しかし、今年の王座戦で優勝した福永小鉢七段は、自分で手を生み出すタイプです。序盤で他の人が打たないような手を打ち、中終盤の力で勝つ。やっぱりそういう人が強いのではないかなと思います。
私も、その場で思い付いた手を序盤で打ったりします。それは相手にとっても未知の局面になるから、自分にとって勝つ可能性が高いと思っているんです。
――そのほかにもコンピュータの弊害はありますか?
例えば私が好んで打つ序盤の手は、WZebraというソフトで−4か−6の評価値が出ます。しかし実戦で良く使っているし、実際勝ったり負けたりで、良い勝負になる手なのです。
しかし人間の悲しい性質として、最初からコンピュータによってマイナスと分かっている手を打ちたくない、打つのが怖いと思ってしまう。それはオセロの可能性を狭める行為だと思っています。
多くの若手はコンピュータが推奨する手ばかり打つので、他の手への経験値が足らず、対策がおろそかになっています。一時はそこを突いて私が連勝を重ねたこともありましたよ。
オセロが完全解析されたら?
――オセロはいま完全解析に近づいています。既に6×6では、完全解析が済んでおり(後手の白が必勝)、8×8も時間の問題といわれます。完全解析されたあとのオセロはどうなると思いますか?
何も変わらないと思います。完全解析の手順は、「一本の筋」にすぎないですから。ちなみに「引き分けになる可能性が高い」といわれています。でも、それは1つの最善手順が発見されるにすぎないので、大会ではどちらかが必ず手を変えるはずです。手を変えてしまえば、その後は両対局者にとって未知の局面になります。
――ただ、囲碁将棋ファンが心配しているのが、完全解析されたとき、新規プレイヤーになりえる潜在的プレイヤーが「もう分かっちゃったからいいや」とゲームの価値自体を下に見てしまうことがないか…………漠然とした不安がある気がします。
オセロを知っていて実際にプレイしている人は「コンピュータで完全解析されるかどうかは、人間同士で楽しむオセロとは何の関係もないもの」と肌で分かっています。新たにオセロを始めるかもしれない人が減る可能性に関しては問題かもしれませんが……私は非常に楽観的に考えています。世界選手権、名人戦、ジュニアグランプリ(小学生の全国大会)等の大会の参加者数もここ数年増加の一途ですよ。
「コンピュータが人間を強くする」はどこまで可能か?
――コンピュータを取り入れたことで、人間の実力は上がってきていますか?
私見ですが、驚くほど上がっていません。本当はもっともっとレベルが上がっていてもおかしくないのですが……意外にもほとんど上がっていません。人間にとっては、上達を阻む大きな壁があるのではないでしょうか。ここ10年ぐらいは……頭打ちですね。
というのも、コンピュータが手を選んだときに、どんな理由で着手したか、人間には理解できないのです。「総合評価でこれが一番と出ました」といわれても。「ここはこういう考え方で、こうなんです」と人間にも分かりやすく教えてくれるソフトができれば良いですが、かなり難しい。
人間の限界があるのかも知れません。例えば、いくら100メートルを5秒で走るロボットがいろいろ教えても、人間は同じようにはできませんから。そこには人間の限界があって、似たようなことが、頭脳ゲームにも表れたのではと思います。
人間の脳が機能的な限界に達していて、その限界で勝ち負けを争っているような状態だとしたら。いま世界最強といわれる高梨悠介九段ですら不敗ではありません。結局はどんぐりの背比べ。人間は広大無限なオセロという、お釈迦様の手のひらで遊ばされている無力な存在かも知れません…………でも、だからこそオセロは楽しいんですけどね。
オセロとは、そしてコンピュータオセロとは
――人間たちはいま、「AIに仕事を奪われる」といった脅威を抱いています。それに関して思うこと、アドバイスができることがあるとすれば、どんなことが言えますか?
コンピュータをどんな場面で投入するか、使うかを判断するのは人間で、そこに人間の仕事が残されていると思います。例えば……手塚治虫の「火の鳥」というマンガでは、コンピュータ同士がケンカをして核戦争が起きました。そういったことを防ぐために。
――世界チャンピオンを3度獲得した、村上さんが思う「オセロの魅力」とは?
誰でも簡単に打ち方を覚えられるのに、強くなるのがとても難しい。そしていくら強くなっても極めることができません。一試合一試合が全く違う新しい局面の連続で、そこに選手達は長年培った経験と読みを全て投入して戦います。
ゲームの性質上、ハラハラドキドキするエキサイティングな試合が多いです。その結果負けたときはすごく悔しいですが、それは自分の実力なのだから仕方がない。芸術の分野と違ってお互いの力量の結果が明確に盤上に現れるので言い訳ができません。オセロは謙虚さを養ってくれます。逆に勝ったときは最高にうれしいですよ。
オセロは発明されたときから完成されたゲームです。囲碁将棋は長い歴史の中でマイナーチェンジを繰り返していますが、オセロは発明されてから一切ルールが変わっていません。ルールは簡単、尽きない奥深さ面白さがあって、しかも(先手の)黒と(後手の)白の勝率はほぼ互角。私は「奇跡のゲーム」だと思っています。
時間をかけて少しずつ上達し、強くなれば地方大会で優勝することもあるでしょう。さらに努力を重ねれば全日本チャンピオン、世界チャンピオンへの道も開かれています。オセロは世界中で楽しまれているので、国内外に老若男女多くの友人ができるという喜びもありますよ。
――では、村上さんにとってコンピュータオセロとはなんですか?
先生です。今でもソフトを使って試合後の反省をして「ここはこう打てば良かった」と学んでいて、本当に良き教師だと思っています。ブレイクスルーを与えてくれる存在ではないですが、細かいところで色んな良い手を教えてくれるので、ありがたい存在です。
確かに昔は、「コンピュータに負けるのはイヤだ」という気持ちもありましたが……ロジステロとの戦いの前に、そのあまりの強さを前にして、それを捨てることができました。
終わった後に始まるもの
「ロジステロとの戦いはすごくやっぱり大きな体験で……考えるところはいろいろあったけれども、その後発表する場所はほとんどなかったので……。今日はありがとうございました」
インタビューの終わりにそう語った村上さん。加速度的に進化するAIとの付き合い方を考える上で、人間がそこに肩を並べられる幸せな時間は、ほんの一瞬でしかないのかもしれません。
しかし、その貴重な一瞬から何かを学び、今後ゲームの盤上を飛び出して次々と訪れるであろう「歴史を変える瞬間」に備えることは、決して無駄な時間ではないはずです。戦いが終わった後から始まるものがたくさんあることを、村上さんのお話は気付かせてくれたように思います。
(辰井裕紀)
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