鹿児島の水族館、20年何もない水槽「沈黙の海」 「不気味」「アート」と反応さまざま 続ける意図は
「怖い」「トラウマ」と話題を呼んだこともある衝撃的な水槽。開館20年を迎えても設置し続ける理由を、いおワールドかごしま水族館に取材した。
開館から20周年を迎えたにもかかわらず、今まで一度も生き物が入ったことがない水槽が、鹿児島県の水族館にある。いおワールドかごしま水族館(鹿児島市)にある「沈黙の海」だ。
「沈黙の海」は1997年5月のオープン当初から設置されており、順路を9割進んだあたりで突然現れる。縦130×横110×奥行き12センチと小さい水槽には、海の生き物どころか、水以外何も入っていない。背景は青一色で、定期的にコポコポと泡が上昇していくだけ。隣には、「沈黙の海」と題した次のメッセージが書かれている。
青い海 なにもいない
もう耳をふさぎたいほど
生きものたちの歌が聞こえていた海
それが いつのまにか、なにも聞こえない
青い海
人間という生きものが
自分たちだけのことしか考えない
そんな毎日が続いているうち
生きものたちの歌がひとつ消え
ふたつ消えて
それが いつのまにか なにも聞こえない
青い 沈黙の海
そんな海を子供たちに残さないために
わたしたちは 何をしたらいいのだろう?
なかなか不気味だ。それまでの水槽には黒潮、南西諸島、錦江湾と鹿児島の海に生息する多様な海の生き物がにぎやかに展示されていたのに、終わりがけにいきなりこれである。筆者が取材中、たまたま1人の男性客がこの水槽の前で立ち止まり、数秒間凝視したあと「怖っ」とつぶやいていた。わかる。
館の話によれば、お客さんの反応は実にさまざまだ。「どうして何も入っていないの?」と不思議そうに見つめ、怖がったり考え込んだりする人。単に青の美しさに引かれてうっとりする人も。友達同士や家族で意見を交わし合う人もいるらしく、県の芸術家の間で「これはアートだ」と議論になったこともあるそうだ。一方で、「なんだ何も入っていないのか」と無関心で素通りしてしまう人もいる。
近年はかなり落ち着いていたが、開館当初は異例の展示としてかなり注目を集めたらしい。2015年にTwitterであるユーザーが「子どもの頃に不気味に思って以降トラウマになっている」と紹介したのがきっかけで再び話題に。以降「あの有名な水槽だ」と近寄る客もちらほら見かけるようになったという。
何かとインパクトの強い水槽。何のために作られ、なぜ20年間変わらずに設置し続けているのだろうか。
「あんまり『沈黙の海』の印象が強すぎて、他の生き物の感動が吹っ飛んでしまうのもいけないんですけどね」と苦笑しながら、展示課課長の佐々木章さんは次のように説明する。
展示を決めたのは、かごしま水族館の設計全体に携わった初代館長、故・吉田啓正さんだった。海の生き物に感動してもらうだけでなく、その感動を呼ぶ生き物が未来でも生き続けていくためには何が大切か、お客さんに水族館を出た後も考えてほしい、という思いから置くことにした。
隣のメッセージを作ったのも吉田さん。果てしなく生き物がいない様子を表現するため、薄くても奥行きがあるようにみえる、アメリカで特許を取得した特殊な水槽をわざわざ選んだ。向かいのレストランからの光が鑑賞の邪魔をしないよう水槽前に壁を設けたりと、「沈黙の海」への思い入れは並ならないものがあったそうだ。
もともとかごしま水族館の設計には、「珍しい生き物を並べるだけじゃなく、鹿児島の生き物の“生き様”を来館者に見てもらいたい」という一風変わったコンセプトで挑んだという。
例えばイルカのショーの担当者たちにも吉田さんは、「イルカを擬人化するのではなく、イルカという生物を伝えるようなショーにしなさい」と指示を出した。イルカが尾びれを振っている様子なら「バイバイしている」というのではなく「尾びれを振っている」とアナウンスする。イルカの知性や能力を利用して芸をやらせるエンタメショーではなく、“イルカを知ってもらうショー”にするということだ。この難題には、開館当初にショーを担当していた佐々木さんも頭を抱えたらしい。
「こうした生物の“生き様”を感じてもらうのが他の水槽だとしたら、『沈黙の海』はその裏側に位置する水槽だなと捉えています。『イカがスミをはいた!』『あの魚の形がおもしろかった』と生き物から受けた感動に、何も無い水槽を通してより深く入っていただける」(佐々木さん)
8月から日本初のウミウシ常設展示コーナー「うみうし 研究所」を開設(常に30種公開)。お客さんに足を運んでもらうために展示や企画を数々と作ってきたが、「展示スペースが無いから『沈黙の海』に魚を入れようとか無くすとかそういうことはしたくないです」と話す。
「私たちとしても企画に迷うとき、水族館において何が大切かを考えさせられる原点のような展示なんです。今後も展示の幅を広げる大事な水槽として、残していきたいと思います」(佐々木さん)
「沈黙の海」からエスカレーターを下った先には、最後のコーナーとしてピラルクーの巨大水槽が広がっていた。海から生き物が消えた未来を想像した後だと、この巨大魚がゆったり泳ぐ姿はより神秘的で力強く見えた。20年がたったこの先も、何もない水槽は沈黙を保ち続け、通りがかった人に“生”を感じさせ続けるのかもしれない。
(黒木貴啓)
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