いまだ破られぬ詰将棋の手数最長記録(1525手詰) 作者に聞く「盤上の『ミクロコスモス』はいかにして生まれたか」(3/5 ページ)
「ミクロコスモス」のヒントとなった変則詰将棋
―― 橋本さんは「変則詰将棋」の作家としても活動されています。その経験が「ミクロコスモス」に及ぼした影響はありましたか
変則詰将棋は通常の詰将棋とは異なるルールの詰将棋の総称です。普通の詰将棋では双方が最善を尽くすことが前提ですが、変則詰将棋では反対に、双方が最悪を尽くすものも考えられます。変則ルールは無数に考案されており、普通の詰将棋と同等の情熱を注ぎ込む価値があるものも少なくありません。
詰将棋はただ1つの世界ではなく、たくさんの世界の中の1つなのです。そうすると、各「世界」同士の関係に着目するのも、自然な発想でしょう。ある世界で実現可能なことが、別の世界でも可能なのかどうか、などの問いが浮かんできます。
「ミクロコスモス」が大きな影響を受けたのは「自殺詰」「自玉詰」と呼ばれるルールでした。これは「攻方が相手に王手を掛けつつ、自玉を詰めさせる。しかも相手はそれに協力しない」というものです。
このルールで、花沢正純氏が発表した作品の1つに(惜しくもこの作品は不完全作でしたが)、「攻方が将来持駒として使いたい駒を盤上に置駒として蓄え、必要時に取り出して使う。役割を終えたらまた盤上に戻る」という非常に高度な機構を持った作品がありました。自分の駒を直接自分の駒台に置くことはできませんから、これを実現するには「自分の駒を相手に渡して、それを合駒させて取り返す」というプロセスが必要です。
ルールが違うので、この作品で使われた機構をそのまま普通の詰将棋に流用することはできませんが、そこから抽象的な特徴を取り出し、別の方法で実現することは可能に思えました。それが具体的な形になったのが「イオニゼーション」です。この作品では、受方の盤上の香が攻方の桂と交換で取られ、何回かの交換作業の後、合駒として再度盤上に現れます。
あるルール内で有効な機構をそのまま普通の詰将棋に“翻訳”することは無理でも、何とか“意訳”できないかと頑張った結果、面白い作品ができたと思います。「ミクロコスモス」はその「イオニゼーション」の発展形であり、変則詰将棋を自分が愛好していたからこそ生まれた作品だったのです。
―― 小説においても異なるジャンルの技法や、外の世界での経験をうまく落とし込むことで劇的な効果が生まれることがあります。対象物を外側から見る視点が変革をもたらすのですね
もしもコンピュータが“世界最高の詰将棋作家”になったら
―― 詰将棋の神様がいるとして神様が最長の詰将棋を作った場合、その手数はどれぐらいになると思われますか
ルール上の制約から有限手数であることは確かですが、具体的な上限については考えたことはありません。興味の中心は手数そのものではなく、それを生み出す仕組みにあります。
特に変則詰将棋の愛好家にとっては超長手数作品は珍しいものではありません。変則詰将棋の1つである「協力詰(通称:ばか詰)」には数万手の作品が存在しますし、文字通り桁違いの手数を持つ作品も発表されています。普通の詰将棋の最長手数が判明したとしても、それはそのルールでの上限が判明したというだけで、それだけではあまり意味がないのです。
―― 単に長いかどうかではなく、オリジナリティーが大切なのですね
逆に盤の大きさや駒の枚数が無制限の詰将棋を考えたとき、何が実現できるかは大いに興味があります。
数学用語を使って恐縮ですが、ある種の変則詰将棋は「チューリング完全」であることが分かっています。つまり、駒盤が無制限であれば、無限の記憶領域を備えたコンピュータと同等の機能を持たせることができて、理論上は「詰将棋を解く詰将棋」も作れるわけですね。
それがその特殊な変則詰将棋だけのことなのか、普通の詰将棋から駒数と盤の大きさの制限を取り払ったものでも同じことができるのか、遠からず明らかになるでしょう。
―― まだ拙いですがコンピュータが詰将棋を自動生成するようになってきています。指し将棋の世界でコンピュータが人間を越したように、詰将棋の世界でもコンピュータが最高の詰将棋作家になる未来図はありえるのでしょうか
その可能性はあると思います。それが現実になっていないのは、創作という行為が機械には代替不可能だからではなく、人間の技術力が未熟なせいだというのが私の見解です。
例えば、将棋を指す人はたくさんいますが、そのほとんどが名人に勝てません。それでも、指し将棋を楽しむ人々はいなくなりませんでした。もし最強の存在が名人からコンピュータに代わっても「自分より将棋が上手な存在がいる」という状況は変わりません。
同様に、コンピュータが最高の詰将棋作家になったとしても、自分で自分の好きな詰将棋を作って楽しむ行為はなくならないと思います。
―― 近年、詰将棋は解答競技としても取り組まれています。難しい詰将棋を早く解くコツがありましたら教えていただけないでしょうか
詰将棋を解く行為は、数学的に捉えると2つの側面があります。
- 探索問題としての側面:「この局面は詰む」という命題に対し証明または反証を行う(要するに、詰むかどうかを調べる)
- 最適化問題としての側面:詰む場合に、受方最長則などのルールに従って手順を選ぶ
特に前者は他の“難問”と通じる性質を持っています。「解くのはとても難しい。だが、正解が与えられれば、それが正解であることを確かめるのは比較的容易」というタイプの難問と共通の性質があるのです。
「正解が分かれば苦労しないじゃないか」と思うかもしれませんが、詰将棋を解くときは、この性質を独特の方法で利用することができます。
「正解が分かれば簡単」ということは、逆に考えれば「難しいのは、正解を読んでいないからだ」ということになります。自分の読みを客観的に観察したとき、読む量が増加傾向にあると、正解から離れていると推測できるのです。1990年代にコンピュータが長手数の詰将棋を解けるようになったのは、探索手法にこの考え方が取り入られたからでした。コンピュータの性能が上がったからではありません。
このような考え方は、人間にとっても有効です。
「たくさん詰将棋を解いて手筋を覚える」というやり方では、未知の手筋を含む詰将棋に対応できませんし、応用できる局面も限られます。対して、この「自分の読みを観察する」という方法は、独特のコツをつかむ必要がありますが、これを身につければ未知の局面にも対応しやすいですし、詰将棋っぽいきれいな手筋を必要としない実戦の詰みを読む時にも役立ちます。
―― なるほど。これは指し将棋の棋力アップにもつながりそうな考え方ですね
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