「昔々、マジで信じられないことがあったんだけど聞いてくれる?」かぐや姫や乙姫たちは本当は何を考えていたのか『日本のヤバい女の子』(2/2 ページ)
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一番欲しかったものを諦めて、それを破壊することが生きる支えになることはとても悲しい。原因を取り除いても悲しい気持ちはなくならない。だけど悲しみと同時に手に入れた焼けつくようなパワーも、爆発的なエモーションも、なくならない。
928年、和歌山県は熊野街道。暑い夏の夜、旅の僧・安珍は困り果てていた。熊野詣の道中、土地の有力者の家で一泊させてもらったのだが、なぜかそこの家の娘にものすごく好かれてしまった。清次の娘、すなわち清姫と呼ばれるその少女は安珍の部屋へ夜這いをかけ、自分と夫婦になってほしいとぐいぐい迫る。修行中なのでムリですと言えばそれまでだが、逆上して騒がれでもしたら絶対まずい。……よし、ここは軽めの嘘で逃げよう。
「自分は参拝中の身。熊野三山への参詣を終えたらきっと戻ってくるので、それまで待っていてほしい。その時に夫婦になろう」
安珍はそう言って清姫をなだめ、翌朝また旅立った。そして帰りは別のルートを通り、それきり逃げてしまった。
いつまでも帰ってこない安珍を不審に思った清姫が道行く人に尋ねると、もう去った後だという。それを聞いた瞬間、彼女は狂ったように走り出した。履物が脱げるのもかまわず走って走って、60キロ以上走り続け、安珍に追いついた。
「ねえ、ちょっと止まって! 話があるんだけど!」
「君と約束した覚えはない。人違いだ!」
安珍は驚き、思わず叫ぶ。熊野権現に祈り、荷物も数珠も取り落としながら逃げた。
清姫は何が起きているのかわからなかった。え、今なんて言ったの? もしかして、私のこと、騙した? 理解が追いつくにつれ、眉根が寄り、頬が震え、かわいらしかった顔だちが変わる。
日高川へ走りついた安珍は船に乗って対岸に渡り、あろうことか船頭を買収し、追っ手が来ても渡さないよう頼んだ。船に乗せてもらえず清姫は悟る。そこまでして逃げたいと思われていることが深く彼女を傷つけた。清姫の髪は怒りのあまり逆立ち、骨格は隆起して形を変えていた。その姿はもはや人間の少女ではなく巨大でおそろしい蛇そのものだった。
変身した清姫は日高川を軽々と泳いで渡り、なお安珍を追いかける。安珍は息も絶え絶え走り、道成寺という寺へ逃げ込んだ。事情を聞いた住職が彼を鐘の中に匿ってくれた。しかしそれはあまり意味がなかった。清姫は寺へ飛び込むと、すぐに安珍の居場所に気づき、にょろにょろと鐘に巻きついて火を吐いた。火柱が立ち上がり、鐘ごと安珍を焼き尽くす。火は6時間以上燃え続けた。かつて清姫だった巨大な蛇は血の涙を流しながらふらふらと去り、その後、海へ身を投げたと言い伝えられている。
きっとこの話を聞いた人が全員一度は思うことだろうが、安珍の寝室に清姫が夜這いをかけた時、正直に言うと私も「そんなん言うて、実際やってもうたんちゃうの?」と想像してしまった。
事件が起きた928年から1000年以上、清姫と安珍は「やってもうたんちゃうの?」と立ち入った詮索をされてきた。この先も「安珍、やり捨てたなら自業自得では……」「清姫はストーカーなのでは……」と囁かれ続けるのだろう。噂話は本人たちから剥がれ落ち、悲しくも楽しいデマゴーグと化した。あの夜に何があったのかは2人にしかわからない。安珍が清姫をやり捨てたのかもしれないし、清姫が抵抗する安珍に無理やりセックスさせたのかもしれないし、はたまたプラトニックに将来を誓い合ったのかもしれない。
いずれにしても安珍は、「必ず戻ってくる」と言った。そして戻ってこなかった。SNSもなく無料通話もない時代、一度離れてしまえば二度と会えない可能性の方が高い。旅立ちの朝に「戻らない」とひとこと言ってくれれば清姫は恋に終止符を打つことができたのに、彼はその宣言をしないまま答えを保留にし、時間とともに霧散して消滅するのを待とうとした。恋を終わらせるというのは放っておけば勝手に済むようなことではない。安珍が自分のところへ帰ってこないことを受け入れ、それがどういう意味を持つのかを受け入れ、関係の終了を受け入れ、時間をかけて折り合いをつける。それを安珍は清姫ひとりにぶん投げたのだ。この「適当に忘れといて! あとよろしく!」という暴投は、投手側はいとも簡単に実行できる。彼はきっとそんなに深く考えず無責任なことばを残してきた。それを呪詛とも思わないさわやかな気分で。何なら旅先でのラッキーモテイベントくらいにしか考えておらず、帰る頃には忘れていた可能性もある。
追いかけてきた清姫の形相を見て初めて安珍は自分のしたことに気づいただろう。しかし、そこで立ち止まり、「マジでゴメン! 実は付き合えません! それなのに気を持たせたりしてすみませんでした!」と謝れば万事解決……というわけにはいかない。
もう清姫は家を飛び出してきてしまった。裸足で髪を振り乱して走っている姿を人々に見られてしまった。きっと今頃大騒ぎになっている。近所でどんな風に噂されるかなんて大体想像がつく。もう、今さら帰れない。
――何で帰りに寄るからね、なんて言ったの。あの時断ってくれたらよかったんじゃん。私、そんなにアホそうに見えた? いったい前世で何をしたらこんなカルマを背負わされるんだろう。ああ、息が苦しい。何で走ってるんだっけ? 大体、安珍って誰だよ。普通に考えて1回しか会ってないやつなんてそんなに好きじゃねーよ。いや、やっぱり、あの人しかいない。どちらにしても絶対許さない。
取り返しのつかないことというものは、たとえひとかけらの悪意がなくても時々起こる。
清姫は伝説の通り、安珍を焼き殺し、自分も海に身を投げてしまったのだろうか。だとしたら私は、残念でならない。彼女はやっぱり安珍が一番欲しくて、手に入らないのなら生きている意味がないと思ったのかもしれない。男に捨てられ、人間の姿を失った清姫は一見とてもかわいそうに見える。しかし、そもそも蛇は女の子よりも魅力的でないものなのだろうか。蛇になるのは哀れなことなのだろうか。
激しい怒りと悲しみが清姫を蛇に変えた。彼女は浮き立つような恋を失い、愛を語り合うまなざしを失い、キスを交わすくちびるも、うぶげの生えた桃のような頬も、つやつやの髪も失った。その代わり、爆発するようなエネルギーを得た。わんわん泣いたり、怒りで我を忘れるとき、どこに仕舞われていたのかわからないほどたくさんの火薬が突然はじけ出す。悲しくなかった時には自分の体内にあったことさえ知らなかったその衝動は、彼女自身が一番欲しいものを教え、それに向かってなりふり構わず驀進することを教え、つらさを体中で表現してもいいのだと教え、許せない相手を許さないままでいることを教えた。
そもそも、一番欲しいものに気づくなんてそうそうあることではない。自分に必要なものがはっきりとわかり、それをめちゃくちゃに壊して決着をつける力がこの手の中にある。過去の清姫には川を渡る力も火を噴く力もなかったのに、今はできる。彼女は確かに挫折したが、同時に予想もしていなかった成長を遂げた。
変身後の清姫が蛇の姿で気ままな旅に出ていれば、新しい力に見合った冒険に出会い、安珍・清姫伝説を記した絵巻物『道成寺縁起』はもっと長くなっていただろう。その物語を読んでみたかった。それなのに彼女は跡形もなく消えてしまったのだ。
せっかく無敵状態になった彼女に、次のようなクライマックスが用意されていればいいのにと私は空想する。
――人違いだ、と言われたとき、頭がスーっと冷たくなり、それから熱くなるのを感じた。人生の中で一番大きな怒りと悲しみだった。私の脳は超高速で回転し、皮膚は硬くなり、身体は長く伸びて躍動しはじめる。こんなに激しい感情は初めてだった。こんなに何かを欲しいと思ったのも、誰にどう思われてもいいと思えたのも、我慢しないで号泣したのも。もう昨日までの私ではない。いや、見た目もそうなんだけどそれだけじゃなくて。
安珍が道成寺の石段を転びながら駆け上がる姿が見える。あの男は手に入らなかったけど、今、私は誰よりも強い。たぶん何でもできる。私は地面を揺らしながら猛スピードで疾走し、気づけば寺の前を通り過ぎていた。祈ったり身構えたりしていた人たちが吉本新喜劇のようにズコーと拍子抜けしている様子がはるか遠く、目の端に映る。鐘の隙間から安珍がわけがわからないという顔でこちらを見ている。それ、全然隠れられてないけど大丈夫なのかよ。体が軽い。夏の水田がざっと広がりとても眩しい。山が青い。風が気持ちいい。もうすぐ、海が見えるよ。
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