コラム
» 2019年04月15日 11時00分 公開

上野千鶴子さんの祝辞を読み解く 「女性」の魂を折らない社会と、「通俗道徳」へのカウンター

どのようなメッセージだったのか。

[高島鈴,ねとらぼ]

 東京大学の入学式で上野千鶴子さんが読んだ祝辞が話題になっています。

 昨年話題になった東京医科大学の不正入試問題の話題から入り、教育の場における男女の不平等を説明したのち、新しい変化と多様性に満ちた学問を切りひらくよう学生を勇気づける内容でした。上野千鶴子さんはフェミニズム研究者として非常に有名ですが、それ以外にも構築主義や脱アイデンティティーなどたくさんの新しい考え方を学問の世界に持ち込んだ人です。

 今回の祝辞の肝は、2点あったと思います。ひとつは女子教育を妨げる社会へのカウンター、もうひとつは通俗道徳へのカウンターです。

カウンター 4月11日に行われた女性差別に反対するスタンディングデモの様子(筆者撮影)

女子教育に立ちはだかる壁

 まず前者に関してですが、一口に「女子教育を妨げる」といっても、原因はひとつではありません

 私は小学生のころ、「マリー・キュリー」の伝記マンガが大好きでした。マリー・キュリーはポーランド出身、ソルボンヌ大学を出た放射線研究者で、パリ大学初の女性教授です。別にそのときマリー・キュリーの人生に影響を受けたとは言いません。私はただ「偉人」の人生を描いたマンガとして面白く読んでいたのです。ただここで話したいのは、私は自分が「偉人」の伝記マンガを愛読していたというのに、記憶のなかにはマリー・キュリーひとりの伝記しか残っていないということなのです。

 理由ははっきり覚えています。私はずらりと並んだ「偉人」の伝記マンガのなかから、「女性」の伝記しか選ばなかったからです。「男性」の人生は自分には関係のない話で、「女性」の自分は読まなくてもいいのだと思っていました。

 子どもが何になりたいか考えるとき、その選択肢は大人が想像する以上に社会の枠組みに影響されています。「男性」「女性」の枠は特に強固です。「女性」の選択肢が阻害されるというのは、不正入試のような直接的な事案だけではありません。

 上野さんの祝辞からデータを確認すると、東京大学の入学者のうち「女性」の割合は例年20%前後で、大学院の修士課程で25%、博士課程で30.7%まで上がったのち、教授職は7.8%まで低下します。「女性」の学部長・研究科長は15人に1人だそうです。

 このような状況は研究の場だけではなく、社会全体が抱えた問題です。

 例えば日本の「女性」国会議員の割合はわずか10.2%で、世界193カ国中165位という極めて低い水準にとどまっています。歴代首相にも「女性」はいません。

 また男女同数のアーティストを取り上げると宣言して話題を呼んだ「あいちトリエンナーレ」のデータ(元データはこちら)によれば、美術館で働く学芸員の男女比は「男性」34%「女性」66%と、「女性」のほうが多い一方、美術館館長の男女比は「男性」84%「女性」16%と大きく逆転してしまいます。現場で働いている人の多くは「女性」なのに管理職は「男性」ばかり、というねじれた構造が発生しているのです。

 この状況を当たり前のものとして見た女の子は、自分も東京大学に進学して研究者になれると感じるでしょうか? あるいは研究者でなくとも、議員や総理大臣や美術館の館長になれると信じられるでしょうか?

 「ステレオタイプ脅威」という言葉があります。自分が属するグループのネガティブなイメージを聞いてしまうと、そこへ自分を寄せていってしまう現象のことです。ある大学で行われた数学テストの実験では、「このテストはふつう男女で点数に差がつきます」と告げられたグループは、「このテストではふつう男女に点数に差がつきません」と言われたグループに比べて「女性」の得点が著しく低くなったという結果が出ています 。

 つまり「女性の大学教授はすごく少ない」と確認しただけで、無自覚のうちに自分は教授になれるわけがないと思ってしまう「女性」が少なからず発生しうると考えられるのです(これは多くのマイノリティーにあてはまるでしょう)。

 「お前はここにいるべきではない」と思わされることが何度もあると、人は簡単に折れます。魂がぽきっと折れるのです。人の魂を折らないために、さまざまな属性を持つ人がいろいろな分野でのびのび活躍し、あらゆる人に自分の可能性を信じさせてくれる社会が必要なのです。

「男」でも「女」でもない人

 そして同時にここで一点、上野さんの祝辞に批判も加えておかねばなりません。上野さんの話では「男性」「女性」の分類が前提になっていますが、絶対に男女どちらでもない人への言及を取りこぼすべきではありません。Xジェンダー(男女どちらでもない人)、毎日ぶれ続けている人、あるいはどのような性別カテゴリーに分類されることも望まない人たちが、世の中には少なからずいます。

 もちろん「男性」「女性」の枠組みがまだ当分消える気配がなく、「女性」に分類される人が不利益を被っている現在において、「女性」の枠に属す人の支援を行っていくことは重要です。ただ並行して、男女の枠を問わなくともよい社会づくりに取り組む必要があります。「男性」「女性」にかぎかっこをいちいちつけているのも、これらの枠組みが構築された知にすぎず、必要性を強く疑うべきだと考えているからです(これは上野千鶴子さんの問題提起に学んだことです)。性の枠を解体する試みとあいまいな性を生きる人たちについて、注意を向ける言葉が欲しかったと思います。

通俗道徳をぶち破れ

 さて、第二の肝「通俗道徳」とは、ざっくり説明すると「頑張れば報われる」という発想のことです。努力をすれば成果が出る、成果がないのは努力していないからだ……江戸時代から明治時代にかけて広く普及したこの考え方は、現代においても社会の根底に強烈に流れていると言ってよいでしょう。小学校の片隅に薪を背負って本を読む二宮金次郎像がたたずんでいたのは、まさに「貧しい境遇からでも努力して勉強すれば立派なことを成し遂げられるんですよ」というメッセージでした。

 この考え方には、救われた人も追い詰められた人も、どちらもいると思います。誰かにとっては「不平等な社会でも、努力は自分を裏切らない。だから自分も一生懸命勉強して身を立てるのだ」と気合を入れるきっかけになるかもしれない。しかし頑張れば報われることが当然だと思うとき、その対偶として「報われてないのはがんばっていないからだ」が浮かび上がってきます。

 自分ができるのはがんばったから、こいつができないのはがんばってないから――ことはそんなに単純ではありません。

 世の中には自分ひとりではなすすべのない状況がたくさんあるでしょう。通俗道徳a.k.a.頑張り至上主義は、全てを自己責任で説明してしまいかねないのです。

 歴史学者の松沢裕作さんは、著書『生きづらい明治社会』のなかで以下のように述べています。

 (中略)…明治時代の社会と現在を比較して、はっきりしていることは、不安がうずまく社会、とくに資本主義経済の仕組みのもとで不安が増してゆく社会のなかでは、人びとは、一人ひとりが必死でがんばるしかない状況に追い込まれてゆくだろうということです。そして、「がんばれば成功する」という通俗道徳のわなに、簡単にはまってしまうということです。それを信じる以外に、未来に希望がもてなくなってしまうからです。

 息苦しい競争社会のなかで「がんばれば報われるんだ」と思わざるを得ない状況になることを、松沢さんは「通俗道徳のわな」と言っています。わなに一度はまれば、他人を思いやる余裕はなくなり、社会全体が「一人」に分断されていくのです。

 上野さんが読んだ祝辞は、まさにこの通俗道徳にあらがうための言葉だったのだと思います。今頑張れている人が明日も頑張れるとは限りません。いつ誰が突然弱い存在になるかわかりません。誰の振る舞いが誰にどう影響するかも、誰にもわかりません。あらゆることがこんなに複雑につながっている以上、「これは自己責任だ」と言い切れる状況など、本当はほとんどないはずです。東京大学に入る人でなくとも、自分の弱さを認めたり、身近な人の「頑張れなさ」を受け入れたりすることが、もしかしたら思いも寄らない誰かを救うかもしれないと思うのです。

祝辞への反発と応答

 しかしながらTwitterなどを見ていると、この祝辞についてかなり激しい言葉で反発している人が少なからずいるようです。「祝辞にふさわしくない」、「くそフェミ」、「逆差別」……。そして最も気になったのは、「東大の男子を責めている」という意見でした。

 この考え方にははっきりと批判が必要だと思います。私は感情を持つことは常に正しいと考えているので、上野さんの話に対する反発心自体は否定しません。

 しかし第一に、女性差別の問題はデータに現れている構造的な事実であり、そこを無視することはできません。そして第二に、自分は加害者ではないと言い続けるより、傷ついた他者について考えることのほうがはるかに重要ではありませんか。

 「心のつらさ比べ」はしたくありません。ただ私はよりシンプルに、自分の痛みを注視するのを一度やめて、他人の痛みだけを注視して向き合う営みが重要ではないかと考えています。他人の痛みに懸命に気持ちを寄せた先に、自分の痛みも違う形になってくることがあります。そうやって互いに影響を与え合う状況こそ、開かれた知性のための場、大学にふさわしいのではないでしょうか。

【参考文献】 堀越英美『女の子は本当にピンクが好きなのか』(Pヴァイン、2016年)107ページ、 松沢裕作『生きづらい明治社会』(岩波書店、2018年)150ページ



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