「バカにされているところから、新しいものは生まれる」 講談社ラノベ文庫編集長・猪熊泰則<前編>:東大ラノベ作家の悲劇――鏡征爾(2/3 ページ)
2 あらゆる創作者必読のターン!
実際、僕は二人から、たくさんの大切なことを教えてもらった。
その秘密を――みなさんに共有しよう。
だから、今回は作家志望者は必読のターン!
ラノベ志望者もマンガ家志望者も、読書好きもクリエイターも、
必ずや役に立つ認識が得られるだろう。
それはギアスを得る前のJ田さんを猪熊編集長がなだめたように、
あなたの心を開眼させるだろう。
(実は興味深いことに、猪熊編集長もガンダムを一日で見てしまうJ田さんと、親交があるらしかった。ガンダム田さんは就職の時やゲームの部署にいる時に頻繁に相談にやってきて、ほとんど猪熊編集長の言葉をきかずにひたすら自分の野望をぶちあげて帰っていったという伝説をもつ)
そもそも、ライトノベルとマンガは親和性が高いジャンルである。
その双方を知っている人間、タイガー・猪熊・編集長は、
流石の知見をもっていた。ただのヤバい人ではなかった。全裸よりヤバい人だったらどうしようかと思ったがよかった。本当によかった。
だがそれもそのはず。
マンガ雑誌で編集長をつとめ、
ライトノベルで編集長をつとめた――、
おそらく唯一無二の御方である。
当然、常識人のはずである。
常識人の編集長との打ち合わせは、こんな会話から始まった。
「鏡さん――『とらドラ!』みたいな小説を書きませんか?」
「イヤです」いきなり何いってんですか?
「大丈夫。市場は『とらドラ!』を求めている」
それはアンタが求めてるだけじゃないのか。
「お言葉ですが編集長、」
「はい」
「それは市場ではなく私情ではないのですか?」
時が、止まった。
タイガー・猪熊の瞳が、サウナでトリップした時のように、上下した。
おそらく編集長は、嘘が吐けないタイプの人間なのだろう。
「美少女を立体的に描く才能が、いま絶対的に不足しているんです……」
「でも、僕は萌えっていうものがよくわからないんですよ」
AKBとかアイ○ル・マスターとか、そういうものに熱狂する心理が、正直、よくわからない。
萌え、というものが、パターン化された記号にみえるのだ。パターン化されたものには、あまり興味がもてない。むしろ、パターンを超えてくるものに興味がある。
小説も絵も音楽もそうだ。
創作でいえば、受け手の世界を変えてくれるような、世界の見方を変えてくれるような、そんな文学性のあるものを求めている。
「萌えってやつがわからないぜ!」僕は親指を立てた。
「ふふふ」
すると猪熊編集長は、不敵に笑った。
「でも鏡さん――あなたは『いちご100%』や『I”s』や『涼風』や『初恋限定。』や『ドメスティックな彼女』や『五等分の花嫁』が実は大好きなんですよね?」
な、なぜそれを……。
「そして――中学時代は美少女ゲームに傾倒していた」
「ウワァーッ!」
おそるべき調査能力である。
「おかしいですねえ。十八歳未満プレイ禁止のゲームなんて、まさか中学生の頃にやってないですよねえ?」
「グワァアアアーッ!」
僕は、観念して言った。
「……私、私は……『AIR』や『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』が大好きでした」
「素直でよろしい。まだまだ山ほど黒歴史はあるんですけど、これくらいにして差し上げましょう。でもまあ、そうでしょう。そうですよね。ゼロ年代に『ファウスト』が好きだった方は、たいていそうですよねえ」
「グワァアアアーッ?!」
背後で、別の声が聞こえた。
……ラノベ王子の、声だった。
どうやら、彼も『ファウスト』に纏わる過去には、忌まわしい歴史があるらしい。
触れないでおこう……。
そんな僕らの状況を知ってか知らでか。
タイガー・猪熊は、余裕の笑みで、こう続けた。
「ふふふ。鏡さん――あなたは全裸に、剥き出しの全裸になって、自分が好きなものを書けば良いんですよ」
それから余裕の笑みで、段ボールをススス。と近づけた。
「その好きなものが、かならず今の話につながるはずですから……。エンターテイメントを考える上で大切なものが、このなか(※注:段ボール箱いっぱいの『とらドラ!』資料集)に、あるんです。だから私の話を聞いた上で、もう一度、ご自身の作品を、見直してみてはいかがですか?」
どういうわけか、怪しい霊媒師に石を買わされるような気持ちには、ならなかった。
たぶん――僕は心のどこかでわかっていたのだ。
彼の話のなかに、大切な何かがあるのだと。
自分に欠けているピースがあるのだと。
3 美少女を書くのは四次元空間に字を書いて何かをみせるくらいに難しいこと
猪熊編集長は、静かに続けた。
「鏡さん。たぶん、あなたは『萌え』というものを表面的にとらえているんじゃないですか?」
「表面的に、とらえている?」
「ええ。通俗的に言われている『萌え』っていうのは、二次元的なものなんです。きわめて記号的で、平面的なもの。でも、それだと心が動かない。違いますか?」
「その通りです。自分が感じる違和感も、そこですね」
「でも、マンガでは『萌え』的な何かを、感じられるわけですよね?」
「YES」
「そこには絵の力があるから、という要素も大きいんです」
「でも小説には……」
「そう。小説という媒体には、五感に訴えかける手段が言葉にしかない。極めて難しい作業だと思いますよ、それを文章だけで構築するのは。もしかすると、萌えって、簡単なものだと思われていませんか?」
「一般的には、確かにそうかもしれない……」
僕は自問するように、そう言った。
口腔の奥から甘酸っぱいものがのぼってくる。
「記号的な萌えではダメなんです。奥行きがないとキャラクターにならないんですよ。キャラクターは二次元じゃなくて、本当は三次元なんです」
「なるほど……。キャラクターに対して僕らが感じるのは、『人間』の、ある種の高度に抽象化された姿なんですね。僕ら作家は、生身の人間を、ある種の抽象化された形で、キャラクター化する。要するにキャラとは人間の写像である。だとすれば、そこには奥行きがないといけない……」
「そうなんです。だからこそ、キャラクターの背景とか想いなんかがみえないといけないんです。それを表現するためには、二次元的なレベルではダメなんです。三次元的に人物が浮かび上がってこないといけない。紙という媒体は平面なわけだから、四次元平面上に文字を書くようなものなんですよ、小説は」
猪熊編集長の口調が、だんだんに、熱を帯び始める――。
「光を書くには、影をみせないと書けない。そうでしょう? キャラクターを立体化させるには、影がないといけないですよね。影の部分がないといけない。キャラクターを『キャラ』と割り切って、パターンでしか描けないひとは、二次元平面でしか描けないんですよ」
流石、月刊マガジンで、曽田正人さんをはじめとする、錚々たるミリオンセラー作家を間近で見てこられた方である。
キャラクターに対する洞察は、流石に深いものがある。
「パターン的に割り切れるもの。たしかに、それだと退屈ですね」
「そう。それだと人間味がないでしょう?」
「つまりキャラクターが、身体性をともなって立ち現れてこない?」
「そのとおりです。キャラクターを描いているんでも、才能のある人は日の当たらない部分があったり、背景の部分がちらっとでてくるんですよ。才能があるひとは影の部分がちらっとでてくるんです。だから! だからこそ!」
そこで猪熊編集長は、机を叩いた。
「『とらドラ!』を僕は心の糧にしていたんです……」
出落ちかよ。
4 ココロを犠牲にして戦い続ける少女、というアイデア
多くは語らないが、猪熊編集長にも、きっと、つらいことがあったのだろう。
傷ついた仔犬のような、表情をする時がある。
苦しみを経た人間に特有の、悩みを感じる。
だが、それは本来、誰もが感じる「痛み」のはずである。
――現代に生きる私たちは、本当に生きていると言えるのだろうか?
大仰な問いかもしれないが、僕は、ずっと、そんなことを考え続けてきた。
だからこれを読んでくれているあなたも、どうか立ち止まって、少しだけ、考えてほしい。
目を閉じて、思い浮かべてみてほしい。
自分の理想の姿を。
そして自分の現実との落差を。
毎日、毎日、やりたくもないことをやり続ける。
理不尽なことを、言われ続ける。
心を犠牲にして、ボロボロになりながらも、何とか、あなたは、「役割」を果たし続ける。
だがそれが、替えのきくコマであることも、知っている。
そうしていつの日か、「使い捨て」にされる。
ボロボロになるまで消耗された挙句に、取り換えのきく機械の部品のように、棄てられる。
そんな、廃棄される運命にある人工少女をヒロインにした作品を書こうと思ったのは、その日の打ち合わせの帰り道だった。
ずぶ濡れで雨に打たれながら、なんとなく、思った。
僕たちは、廃棄される。代わりのいない人間などいない。この身が消えるように、何もかも消えてなくなる。跡形もなくなる。
だが、それでも消えない何かがある。
先日、他界した知人がいた。働きすぎの過労死、ということだったが、真相は、よくわからない。
それでも、自分のなかには何かが残った。お世辞にも「いい奴」とはいえなかったし、問題行動も多く、会えば喧嘩ばかりしていた。
だが、彼は、必死に生きた。
必死に、何かと戦った。
その必死さに、感じることが、あった。
僕らはいつか必ず死ぬ。
全員、死ぬ。一人残らず死ぬ。運命という名の労役に、殺される。
だが、それでも死なない何かが残る。
この十年間。
死んだように、生きてきた。
十年間で、自分の身の丈以上のボツ原稿を出してきた。
作品という魂の別名を、殺されて、殺されて、殺され続けた。
だが、それでも殺されない何かが残った。
自分を駆り立てたのは、その「何か」だ。
その何かを、ひとりでも多くの人に感じてもらえると嬉しい。
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