『自分の腕を切り落とし、目を抉り出し、頭を叩き潰し……』 人生から将棋を消し去ろうとした瀬川晶司は、なぜ再びプロ棋士を目指したのか?(2/2 ページ)
もう一度夢を見る
しばらくは自堕落な生活を続けていた瀬川さんだが、周囲の後押しもあり、別の人生を歩むために神奈川大学法学部に進学を決める。
将棋を再開するきっかけとなったのは、子どもの頃からともに将棋を指してきた幼なじみの存在だった。彼の家で久しぶりに駒に触れたことで、蘇ってくるものがあった。生きるか死ぬかのプレッシャーなど感じず、のびのびと将棋を指す中で改めて気づいたのは、将棋というゲームの魅力と、それに熱中する自分自身だった。
アマチュア将棋界でめきめきと頭角を現した瀬川さんは、大学を卒業し社会人になってからも、アマチュア強豪としてプロ棋士と公式戦を戦う権利を得る。対プロ戦の成績は17勝6敗。アマチュアがプロに勝てる確率は2割といわれていた当時、瀬川さんはプロ相手に7割を越える勝率を収めたのだった。
プロ相手にここまで勝つ人物を、このままアマチュアにしておいていいのか――? そう考える有志が瀬川さんに切り出した「もう一度プロを目指さないか」という打診。だが当初、瀬川さんは挑戦に否定的だったという。
奨励会で戦い抜いてきたからこそ、三段リーグを抜けて初めてプロになれるという絶対的なルールを崩すことにためらいがあった。現役の奨励会員や奨励会を去っていった者たちからも、許されるわけがない。
しかし最終的に瀬川さんは、もう一度プロ棋士を夢見ることを決意する。再びの挑戦を後押ししたものはなんだったのか?
「一度退会しなければ気付けなかった」
「父への気持ちはもちろんあります」
交通事故で突然亡くなった父は、幼い頃からずっと子どもたちに伝えてくれていた。収入や安定で職業を選んではいけない、「自分の好きな道を進め」と。
「奨励会をやめた後の経験も大きかったと思います。大学に行って就職して、会社での仕事も楽しかったですが、そこで“子どものころから純粋に好きなことを仕事にできる”というのはすばらしいことだと改めて気づいたんです。
奨励会時代はそれが分かっていなかった。分かっていたら、奨励会時代もっと頑張れたかもなと思っていたので、もう一度プロを目指さないかと(アマチュア強豪の)遠藤さんに言われたとき、そのことを理解した上でプロ棋士になれたら幸せだろうなと思えました」
あの夜、棺の中の父に誓ったことが頭に蘇った。
──この先、どんな険しい道であれ、僕が好きだと思えることが見つかったら、今度こそ逃げずに、勇気を出して、その道を進もう。
僕はいまの生活になんの不満もない。仕事も順調だ。
だけど僕は、将棋が好きだ。本当は、僕は将棋を指して生きていきたい。それが僕のいちばん望む、いちばん好きな道だ。
(『泣き虫しょったんの奇跡』 瀬川晶司 pp.272-273より)
2005年11月。女流棋士、奨励会三段を含む6人の試験官を相手に3勝という条件で挑んだ史上初のプロ編入試験では、最終局を待たずに第5局で3勝目をあげた。35歳のプロ棋士、瀬川晶司新四段が誕生した瞬間だった。
「好きなことを実際に仕事にすることができて……幸運なことですし、プロになれて良かったと思っています。ただ、一度退会せず、普通にプロになれていたら、こういう気持ちになれたかどうかは分からないですね。実際に他の世界も経験してみたからこそ分かること。
好きな将棋で負けることはつらいし、周囲の期待や応援に応えられないこともありますが、すべての結果は自分次第。そういう世界でやれているのは幸せなことだと思います。対局が無ければこんなに楽しい仕事はないと思いますけど……そのプレッシャーがあるからこそ、棋士ですよね」
半生が映画に
そんな瀬川さんの半生が、今年9月、自伝的作品をもとにした「泣き虫しょったんの奇跡」として松田龍平さん主演で映画化される。
将棋を指すシーンには瀬川さんも監修として関わり、撮影現場にも足を運んだ。自分の半生を映画で振り返るというのはなかなか味わえない経験だが、
「不思議な気分ではありましたが、自分の半生をたどるようなつもりでは見ませんでしたね。初号のときは自分の作った盤面や手つきが気になって、作り手側の気持ちになっていました。ついにできたんだという感慨深さの方が大きかったですね。二度目以降は普通に作品を楽しめて、いい映画にしていただいたなと素直に感動しました」
メガホンを取った豊田利晃監督は、自らも少年時代を奨励会で過ごし、一度はプロ棋士の道を志した経験がある。
「三段リーグの最後の方で『負けました』と繰り返すシーンや、奨励会の仲間が辞めていくシーンは、当時のことを思い出しましたし、見ていてつらかったです。奨励会での経験もあり、退会のつらさもよく分かっている豊田監督ならではのリアルさですね。奨励会退会が決まったときのことも、どのように表現するのかなと思っていたけれど、豊田監督らしいというか、僕の気持ちをうまく表してくれたと思います」
映画においては、瀬川さんが将棋にのめりこみ、また再挑戦をするきっかけを作った幼なじみとの関係性も色濃く描かれている。
「(幼なじみの)渡辺くんは、公開されたら家族で見に行くと言ってくれて、(映画化したことを)喜んでくれています。エキストラとして、撮影に参加しようとしてくれていたそうです。僕に何も言わず(笑)」
渡辺さんだけでなく、映画の中で瀬川さんに関わるキャラクターたちも、原作を読めば実在のモデルが誰か想像することができる。奨励会時代を共に過ごした棋士たちをどんな俳優が演じているのかはもちろんだが、佐藤天彦現名人をはじめとする、プロ編入試験の試験官たちを現役の棋士たちが演じているのも将棋ファンにはニヤリとできるポイントだ。
「近藤正和さん(編注:プロ棋士。映画の中では新藤和正というキャラクターが近藤さんをモデルにしている)は、もう試写を見てくれたそうです。映画の感想ではなくて、『俺さわやかでかっこいいじゃん』と、それだけ言っていました(笑)。
他にも映画を見た棋士の感想を聞くと、僕と松田さんがそっくりだと。後半からはダブって見えたと言われました。もちろん外見はかけ離れているのですが(笑)それほど僕の内面や雰囲気を再現してくれて、松田さんに演じてもらえてよかったなと思います」
「大げさなことではなくて」
瀬川さんの絶望と、前代未聞の挑戦を描いた物語は、9月7日から全国の映画館で上映中だ。
「もちろんすべての人に楽しんでもらえると思いますが、特に小学生や中学生など、若い人に見てほしいですね。自分は、自信がない子どものころに将棋に出会って、うれしいことも悲しいこともあったけれど、成長することができた。
夢とか目標といった大げさなことではなくて、好きなことや熱中するものを見つけることが、人生を豊かにしてくれるんだということを感じてもらいたい。それで将棋にも興味を持ってもらえたら、これ以上のことは無いですね」
「泣き虫しょったんの奇跡」
泣き虫しょったんの奇跡
2018年9月7日(金)〜全国ロードショー
監督・脚本:豊田利晃
原作:瀬川晶司『泣き虫しょったんの奇跡』(講談社文庫刊)
音楽:照井利幸
出演:松田龍平、野田洋次郎、永山絢斗、染谷将太、渋川清彦、駒木根隆介、新井浩文、早乙女太一、妻夫木聡、松たか子、美保純、イッセー尾形、小林薫、國村隼
製作:「泣き虫しょったんの奇跡」製作委員会 制作プロダクション:ホリプロ/エフ・プロジェクト
特別協力:公益社団法人日本将棋連盟
配給・宣伝:東京テアトル
(C)2018『「泣き虫しょったんの奇跡』」製作委員会 (C)瀬川晶司/講談社
関連記事
- 将棋を指せない棋士が残したもの 書評『うつ病九段』
将棋界の狂騒の影で、一人の棋士に起こっていたこと。 - プロとアマとを分けるもの――「奨励会」という世界、己の人生を”懸ける”ということ
「賭ける」と「懸ける」。 - 「あの時負けていれば」――人生を賭けた一局、夢が終わった後に続くもの
人生にイフはない。ただ問うことだけが許される。 - 藤井聡太五段を見たときに感じる「口の奥の苦み」――プロ棋士を目指した“元奨”作家が振り返る「機会の窓」
かつて、同じ夢を見ていた。 - 江戸時代、二人の天才少年の命を懸けた対局があった――現代によみがえる300年前の「棋譜」
続くものと残るもの。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
-
中央道から「宇宙戦艦ヤマト」が見える! 驚きの写真がSNSで注目集める 「結構でかい」「どう見てもヤマト」 撮影者の心境を聞いた
-
元「おニャン子」内海和子、娘・ゆりあんぬの“胃の粘膜ぶっ壊す”食事に激怒! 有名飲食店に謝罪し「出禁にして」「違う星の人そんな気がしてなりません」
-
「情報を漏らされ振り回され……」とモデラー“限界声明” Vtuberのモデル使用権を剥奪 「もう支えられない」「全サポート終了」
-
「恐ろしい」 北海道の道路標識 → “見落としたら絶望”のとんでもない表示に衝撃走る 「普通にホラーでは?」
-
優しそうな“おかっぱ頭”の男性→プロがカットしたら…… “別人級の仕上がり”が470万再生「えっ!? って声出た」「EXILEみたい」
-
平愛梨、“夫・長友佑都選手”に眠れなくてLINE送信→“まさかの返信”に「なんやねん」「もう寝るしかない」
-
“無給餌”で育てたメダカが2年後、驚きの姿に→さらに半年後…… 放置しておいたビオトープで起きた“奇跡”に「ロマンを感じる」
-
「天才が現れた!」 森永が教える“秋らしい”お菓子の作り方→たこ焼き器を使ったアイデアに「すごいすごい可愛い」
-
固い着物をリメイクしてみたら…… 生まれ変わった“まさかのアイテム”に「しゅげー!」「凄い素敵です」
-
「上げ底の先」 その名に偽りなし、高専の文化祭に出現した「限界節約ホットドッグ」が本当に限界だった
- 「飼いきれなくなったからタダで持ってきなよ」と言われ飼育放棄された超大型犬を保護→ 1年後の今は…… 飼い主に聞いた
- ドクダミを手で抜かず、ハサミで切ると…… 目からウロコの検証結果が435万再生「凄い事が起こった」「逆効果だったとは」
- 「明らかに……」 大谷翔平の妻・真美子さんの“手腕”を米メディアが称賛 「大谷は野球に専念すべき」
- まるで星空……!! ダイソーの糸を組み合わせ、ひたすら編む→完成したウットリするほど美しい模様に「キュンキュンきます」「夜雪にも見える」
- 妻が“13歳下&身長137センチ”で「警察から職質」 年齢差&身長差がすごい夫婦、苦悩を明かす
- 人生初の彼女は58歳で「両親より年上」 “33歳差カップル”が強烈なインパクトで話題 “古風を極めた”新居も公開
- 「ごめん母さん。塩20キロ届く」LINEで謝罪 → お母さんからの返信が「最高」「まじで好きw」と話題に
- 互いの「素顔を知ったのは交際1ケ月後」 “聖飢魔IIの熱狂的ファン夫婦”の妻の悩み→「総額396万円分の……」
- ユニクロが教える“これからの季節に持っておきたい”1枚に「これ、3枚色違いで買いました!」「今年も色違い買い足します!」と反響
- 中央道から「宇宙戦艦ヤマト」が見える! 驚きの写真がSNSで注目集める 「結構でかい」「どう見てもヤマト」 撮影者の心境を聞いた
- 50年前に撮った祖母の写真を、孫の写真と並べてみたら…… 面影が重なる美ぼうが「やばい」と640万再生 大バズリした投稿者に話を聞いた
- 「食中毒出すつもりか」 人気ラーメン店の代表が“スシローコラボ”に激怒 “チャーシュー生焼け疑惑”で苦言 運営元に話を聞いた
- フォロワー20万人超の32歳インフルエンサー、逝去数日前に配信番組“急きょ終了” 共演者は「今何も話せないという状態」「苦しい」
- 「顔が違う??」 伊藤英明、見た目が激変した近影に「どうした眉毛」「誰かとおもた…眉毛って大事」とネット仰天
- 「ごめん母さん。塩20キロ届く」LINEで謝罪 → お母さんからの返信が「最高」「まじで好きw」と話題に
- 星型に切った冷えピタを水に漬けたら…… 思ったのと違う“なにこれな物体”に「最初っから最後まで思い通りにならない満足感」「全部グダグダ」
- 「泣いても泣いても涙が」 北斗晶、“家族の死”を報告 「別れの日がこんなに急に来るなんて」
- ジャングルと化した廃墟を、14日間ひたすら草刈りした結果…… 現した“本当の姿”に「すごすぎてビックリ」「素晴らしい」
- 母親は俳優で「朝ドラのヒロイン」 “24歳の息子”がアイドルとして活躍中 「強い遺伝子を受け継いだ……」と注目集める
- 「幻の個体」と言われ、1匹1万円で購入した観賞魚が半年後…… 笑っちゃうほどの変化に反響→現在どうなったか飼い主に聞いた