『岩田さん』という本のこと、永田泰大という編集者のこと水平思考(ねとらぼ出張版)(2/2 ページ)

» 2019年11月01日 20時30分 公開
[hamatsuねとらぼ]
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 4年という時がたつことで、彼が既にこの世に居ないという不在感はより強まったように感じられる。

 なぜそのように感じてしまうのかと言えば、彼が56歳というまだまだこれからという年齢で亡くなってしまったということもあるが、岩田さんという人が自らさまざまな情報を発信することに熱心な人だったからだろう。

 社長自らが開発スタッフに直接話を聞いて、下手なプロモーションインタビューよりも深い話を聞き出す社長が訊くや、ゲームの最新情報、最新映像を「直接」送り届ける「Nintendo Direct」など、そこらの雑誌やテレビ媒体顔負けの、「メディア」としての活動に積極的な人物だった。

 ちなみに、上記にリンクを張ったファミ通.comのインタビューで語っているが、「社長が訊く」の立ち上げにも永田さんが関わっていたりもする。

 岩田さんが亡くなって、彼自身が率先して提供してきたこれらの情報がいかに貴重で、そしてそれらがまるで湯水のようにあって当たり前のことのように提供されてきたという事実にあらためて気付き、がくぜんとしてしまう。

 なぜ彼はそこまで自社の情報開示を自ら行うという、ゲーム会社の社長というよりもまるでジャーナリストのような活動に積極的だったのだろう。その理由の一つとして、あまり信用のならないメディアが自社の情報を流してしまうことによる無駄な混乱を未然に防ぐためということは間違いなくあったのだろう。「Nintendo Direct」があれほどまでに「直接」伝えるということにこだわった理由はそこにある。

 しかし、「MOTHER3」が一度開発中止に追い込まれた際に座談会を開いたり、ほぼ日で積極的に自社のトップクリエイターである宮本茂の発想のすごさを分析し、それをネット上で無料で公開してしまうということは、むしろ自社には「直接」の利益は何もないどころか、自社の強さの秘密を明かすことにすらつながりかねない。なぜ彼はそのような自社にとってマイナスにもなりかねない行為に熱心に取り組んできたのか。

 『岩田さん』という本にはその理由がはっきり書かれている。

 そうした方が、自分や自分が率いる会社が、もっと大きなことを言ってしまえば世の中全体が、ハッピーになるからだ。

 『岩田さん』という本を読めば読むほどに、言葉にしてしまえばあまりに愚直でシンプルな信念を、岩田さんという人は本気で信じ、実行に移してきたということがよく分かる。

 この本は、過去に「ほぼ日刊イトイ新聞」に掲載された対談やインタビューを再構成する形になっているのだが、まるでこの本を出版するために語り下ろしたかのような自然な構成になっている。おそらく推敲に相当な時間を割いたのではないだろうか。

 下世話なことを言ってしまえば、岩田さんが亡くなって間をおかずに岩田聡対談集のような形でリリースすることだって可能と言えば可能だっただろうし、その方が話題性だって高かったのではないかと思う。しかし、そのような安易なやり方をこの本に携わったスタッフは選ばなかった。

 そこにはやはり、安易なトレンドに乗らず、普遍的で本質的な「ゲームの話」をし続けた永田さんの当時と変わらない志のようなものが感じられる。

 もう少し、本の内容に踏み込んだ話もしておこう。岩田さんという社長のマネジメント術を考える上で欠かせないのが、社員との個別面談だろう。HAL研究所時代は全社員と面談し、任天堂時代も全社員はさすがに無理だとしてもできる限りのスタッフと個別に、長ければ3時間もの時間をかけて面談をし、そこから非常に多くのものを得たという。そうしたマネジメントメソッドの根幹にあったのは、対面したその人からできる限り正直な情報発信をしてもらい、それを社長でありリーダーである自分が受けとめる、というものではないかと思う。

 いわゆる自分から自伝本を発行し、社員に自分の考えを吹聴して回るタイプの社長とはだいぶ異なるタイプといえるだろう。

 会社が経営危機になったあと、わたしが社長になって会社を立て直しますというとき、わたしは開発部門のなかでいちばん総合力の高い人だという程度の信頼はありましたから、いちおうみんな言うことを聞いてはくれました。ただその一方で、基本的に会社には社員からの信用がないんです。というか、経営危機に陥った会社というのは、社員から見たら不信のかたまりですよね。だって、「会社の指示に従って仕事をしていた結果がこれか?」と思って当然ですから。

 ですから、わたしは社長に就任したとき、1ヵ月ぐらいかけてひたすら社員と話をしたんです。そのときに、いっぱい発見がありました。

 自分は相手の立場に立ってものを考えているつもりでいたのに、直接ひとりひとりと話してみると、こんなにいろいろな発見があるのか、と思いました。当時は、なにが自分たちの強みで、なにが弱みなのかをわかろうと思ってやったことだったんです。それがわからないと、自分は社長としてものを決められないですから。

(中略)

 たぶん、その面談のときにわたしは「判断とは、情報を集めて分析して、優先度をつけることだ」ということがわかったんです。「そこで出た優先度に従って物事を決めて進めていけばいい」と思うようになりました。

(第一章「岩田さんが社長になるまで」より)


 究極の受け身型マネジメントとも呼べそうだが、近年の任天堂は以前よりも明らかに情報の発信に積極的になったし、うまくなった。鮮烈な発表とともに瞬く間に任天堂の看板タイトルの仲間入りをした「スプラトゥーン」や、悲観的な前評判を吹き飛ばした、Nintendo Switchのローンチ展開、業界内外で大きな反響を読んだCEDECでの「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」の8講演、などなど、岩田さんという非常に大きな存在を失った2015年以降(スプラトゥーンの衝撃的な発表は2014年だが)も、任天堂はまるで岩田さんが変わらず存在するかのように、積極的に情報発信を行い、相変わらず強い存在であり続けている。

 なぜそのように強くあり続けられるのかと言えば、それはさまざまな局面でさまざまな任天堂のメンバーが力を発揮できているからだろうし、それができるようになる過程には、個々の社員が発信することを尊重し、肯定し続けてきた岩田さんというリーダーの影響は少なからずあったのではないかと思う。

 岩田さんという存在を失っても任天堂が強くあり続けることこそ、岩田さんの最大の功績ともいえるだろう。

 で、あるからこそ『岩田さん』の第六章で語られる宮本さんと糸井さんの言葉は胸に迫るものがある。特に宮本さんが岩田さんをどのような存在として思っていたのかについてはこれだけの年齢、これだけのキャリアを重ねてこれほどに純粋な関係が築けるものかと感動してしまう。

 岩田さんが任天堂の社長になってからはじめたいいことはたくさんあるんですけど、そのひとつが、いろんな新しい制度や仕組みをつくって、それに「名前をつけた」こと。

 たとえば、新しいハードをつくるときは、部署を横断するようなチームをつくるんですけど、岩田さんはそれに「車座」という呼び名をつけたんですね。その名前があることで、いろんな部署の人が集まって話すということが、みんなに肯定的にとらえられる。きっちりとした組織図はないけど場があることはわかりますし、たとえば人事部の人がそこに絡んでもいい、ということが伝わる。名前をつけることで、役割をみんなに自然とわからせる。

 そういうことって、もともとは岩田さんが尊敬していた糸井重里さんが得意にしていることで、たぶん、岩田さんはそれを応用していたんだと思います。ぼくもそれはいいなと思って、今でもちいさな集まりや定例会議に名前をつけたりしてますよ。いい名前をつけると、会議や組織が放っておいても動くようにようになるんですよね。

(第六章「岩田さんを語る。宮本茂が語る岩田さん」より)


 『岩田さん』という本は、非常にシンプルで普遍的な目標を、単なるお題目としてではなく「当事者」として掲げて生きた、岩田聡という人間の率直な言葉が詰まった本である。そして、それと同時に、永田泰大、宮本茂、糸井重里、岩田聡というメンバーが勢ぞろいする最後の本でもある。

 擦り切れるまで読み返したいと思う。



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