和風月名・最大の謎「卯月」。うと卯と兎と宇をめぐる旅〜前編〜
早いもので明日より四月です(※3月31日付のTenki.jpの記事を転載しています)。「昔の暦月の呼び名」として12ヶ月セットで提示される「和風月名」では、四月はご存知の通り「卯月(うづき)」。でも、旧暦時代のスタンダードは、現代と同じ数字月と、十二支を各月にあてはめた十二月建(じゅうにげっけん)で、「卯月(ぼうげつ)」は二月にあたりました。
和風月名の「うづき」も、文学や日常会話では使用されましたが、これは少し困ったことです。「卯月」と表記されたときにそれが二月のことなのか四月のことなのか場合によっては判じがたくなるからです。和風月名の卯月の意味には諸説あり、はっきりしていません。神無月や師走、如月などよりも、実はもっとも謎に満ちた和風月名、卯月。その謎を、前後編に分けて考察を試みたいと思います。
ややこしいのはなぜ?「う月」の不思議
旧暦時代の日本には暦月の異名が多くあります。四月については、現代では一番ポピュラーな卯月以外にも、たとえば鎮月(ちんげつ)、麦秋、乏月(ぼうげつ)、余月(よげつ)、清和、陰月、畏月(いげつ)、槐夏(かいか)、孟夏(もうか)、乾月、建巳月(けんしづき)、などなど。
旧暦時代の暦は十二月建(月建干支(十二支月)かつ夏正(建寅月を正月とする)を採用していましたから、旧暦時代の卯月は二月。四月のことは巳月(しげつ) 。蛇の月です。十二月建での卯月は「ぼうげつ」と読みます。「卯」という文字の漢音(音読み)は「ぼう」だからです。訓読みで「う」となった理由は、中国から八卦や干支が伝わり、「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」の十二支のシンボルとなった動物に、その和語による訓みくだし「ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い」があてられ、このとき、「卯(ぼう)」に対応する「兎」の意味である和語のうさぎから、「う」と訓読みするお約束も出来上がったのです。
現代、使われている「卯月(うづき)」の語源には、主に次のようなものがあります。
もっとも有力なのは、卯の花が咲くころだから卯月だ、という説。
『下学集』(東麓破衲 1444年成立・1617年刊行)には、「此月卯華盛開、故云卯月也」とあり、卯の花(ウツギ)がこの時期に咲くから卯月という、と解釈されていて、後の時代の『倭訓栞』(谷川士清 1777〜1877年刊行)もこの説に従っています。
『奥儀抄』(藤原清輔 12世紀前期ごろ)では、「四月(うづき) うの花さかりに開くゆゑにうの花づきといふをあやまれり」として、「四月を卯月と呼ぶのは本来誤りで(なぜなら卯月は二月のことだから)、卯の花月と呼んでいたもの省略されてそうなってしまったのだ」と説明しています。
しかしこの卯=卯の花が咲くころ説、「じゃあ卯の花は何で卯の花っていうの?」という疑問は置き去りですし、卯の花の語源については「旧暦四月・卯月に花が咲くから卯の花」という合わせ鏡のような説があり、これでは堂々巡り、たらい回しです。
稲の苗を田んぼに植える月なので「植うる月」から「植月」→「卯月」となったという説もあります。でも、これについても翌月の皐月にも、「早苗を植える月」という語源説があり、こじつけ臭くあまり支持されていません。結局のところ、「う」という言葉が何なのかを読み解かない限り「よくわからない」のです。
「う」は特別・神聖なる音だった
民俗学者・柳田國男は、「卯月」の卯の意味するものとは、稲の御霊である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)の名の「う」と通じ、稲の収穫感謝祭である新嘗祭が、十一月下卯の日と定められていたこととも、かかわるとしました。
「歌にしばしば詠まれた「神まつる卯月」稲の種播くこの月の名だけは、今もってウサギの月というような語感を帯びてはいない。或いは初のウヒ、産のウムなどと繋がった音であって、嘗て一年の循環の境目を、この月に認めた名残かというような、一つの想像も成り立つのである」(柳田國男『海上の道 稲の産屋』)
古代和語では「うづ/うず」は「珍」の文字をあてられ、有難く、また尊いこと。常ならざる高貴なもの、を意味しました。万葉集には「手抱きて 我は御在(いま)さむ 天皇朕(すめらい)が うづの御手(みて)以ち 掻撫でそ 労(ね)ぎたまふ」(巻六 九七三)とあり、太上天皇(上皇)が、自身の手を「うづの(貴い)御手」と表現している歌が見られます。
かつてあったとされる出雲大社の巨大神殿を支える棟柱は「宇豆柱(うずばしら)」と呼ばれました。古神道の言霊の思想では、基本母音の「あいうえお」のうち、もっとも始原の言霊は「う」であり、「宇迦須美(うがすみ)の神」であるとされます。「うがすみ」は間違いなく穀霊倉稲魂命と関係があるでしょう。
天岩戸神話で、洞窟に隠れてしまった(死んでしまったことの比喩)太陽神アマテラスを岩戸から引きずり出す(再生させる)ため、槽をふみ轟かせ胸もあらわに神がかりに踊り狂ったとされる天鈿女命(あめのうずめのみこと)。ここにも「うず」が出現します。鈿女(うずめ)=「う」なる母が、天照(あまてらす)=「あ」なる子を産(う)み落とした、という出来事を、神話的に象徴的に描いたものとも解釈できます。
古層日本文化、日本語の基層となったやまと言葉において、「う」という音が特別な意味を持ち、だからこそ「う月」は消えずに残ったのではないか、と考えられます。
神社最大勢力・あの八幡神社も「う」と深い因縁があった
一説では古い和語ではうさぎのことを「う」と言っていて、のちに「さぎ」という接尾がついた、とされます。日本の古層をなす文化・言語のひとつであるアイヌ語では、ウサギの呼び名はさまざまありますが、一般的な名称で「イソポ」「オスケプ」などがあり、音節的にこれらの「イソ」「オス」が「うさ」の原型になったようにも考えられます。
ちなみに東アジアの共通文化圏に属する中国ではウサギは「ト」、朝鮮語では「トッキ」ですから、日本語の「ウサギ」「う」という言葉が、東アジアにおいて特殊な名詞であることがわかります。
生物学者であり民俗学者でもあった南方熊楠は、『十二支考』の中で、エジプトに兎頭人身の「ウン」という太陽の神(!)がある、と言及しています。「ウン」とは、第5王朝(紀元前2498年ごろ〜紀元前2345年ごろ)に信仰が興隆したウェネト(ウヌトとも。Unut Wenet)のこと。古代エジプトのヒエログリフでウサギは「ウヌ」。日本語の「う」と似ているのは偶然でしょうか。
日本にある神社のうち、もっとも数多いとされる八幡神社。その総本宮は、大分県宇佐市の宇佐神宮とされます。古代史・神話伝説では、遠い縄文時代に菟狭(うさ)族/宇佐族が、隣り合う豪族・和邇(わに)氏との何らかの争いに敗れ、所領財産を奪われたとき、出雲の族長(オオクニヌシ)から因幡国八上(鳥取県八上郡)の地を与えられ、見事復興して中国地方から北九州の広域に勢力を広げて繁栄した、とあります。古事記に登場する「因幡の白兎(稻羽之素菟)」の物語の元となった伝説です。現在も鳥取には白兎神社があり、因幡の白兎が祀られています。また宇佐族は天津暦(あまつこよみ)を司り、アジア全域で見られる「月のうさぎ」の信仰を受け継ぎ、ウサギをトーテム神とし続けたのです。
宇佐族は豊国・宇佐神宮に拠点を移してからは、奈良時代には神託の聖地として、皇室から伊勢神宮以上の崇敬を寄せられました。「う」の持つ強いパワーをここからも感じることが出来ます。
後編では、卯月といえば卯の花、とまで言われてかかわりの深いウツギの原義について掘り下げていきます。
(参照)海上の道 柳田國男 岩波書店
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