「動物の死体を厄介なものと捉えるのは、人間だけ」 大阪湾の迷いクジラ「淀ちゃん」の海洋投棄は妥当だったのか? 市・博物館・専門家に聞いてみた(3/4 ページ)

» 2023年03月17日 19時30分 公開
[石関隆景ねとらぼ]

田島先生「死体や腐敗臭を厄介なものと捉えるのは、人間だけ」

―― マッコウクジラは本来、死んだらどうなるのでしょうか

田島先生: マッコウクジラに限らず、生物は死んだら水に浮かんだ後、腐ったら沈みます。人間もそうですが、生前の哺乳類は沈む方が大変です。死んでしまうと、体にたまるガスや皮下脂肪によって浮力が増し、自然に浮いてしまう場合が多いです。

 時間がたち腐敗が進むと、肉体が朽ちたり、他の生物に食べられたりして、身体に穴が開いてガスが抜け、沈み始めます。ただ、実際に調査をする際には、そこまで待っていられないため、人工で穴を開けます。

大阪湾 マッコウクジラ 淀ちゃん 海洋投棄 標本化 なぜ マッコウクジラ(画像は国立科学博物館「海棲哺乳類データベース」より)

―― 沈下による自然への影響は、どういったものが考えられますか?

田島先生: クジラの死体が海に戻れば、他の生物への栄養となるため、食物連鎖の一環として働きます。基本的に、全ての生物の死体は自然にかえり、そこからまた新しい命が育まれるので、そこから多様性も生まれます。

 一方、人工的に沈下させた場合、死体を沈めるためのロープや重りがかえって、環境にあまり良い影響を与えない可能性があります。クジラの死体とは異なり、そういった人工物は分解されずに残るためです。

 では、埋設はどうかというと、こちらはこちらで砂浜に埋めれば死体が微生物によって分解され、自然の糧となるため、自然に悪影響を及ぼすということはほとんどありません。

 腐敗臭はもちろんいい臭いとは言えず、動物の死体も気持ちの良いものではないかもしれませんが、極端に嫌がっているのは、人間だけなのかもしれません。むしろ死体というのは自然にとっては恵みとなることが多いので、自然界の生物たちは、「こんなごちそうを、そんなに嫌がらなくても……」と思っているかもしれませんね。

―― 確かに、死は生物にとって自然な現象ですよね。人間が忌避しすぎているのかもしれません

田島先生: 多くの方が、博物館で標本を見るときには「きれい」と言ってくださいます。けれど、生々しい死体の話になると、どうしても避けたくなる気持ちになられる方もいます。それはそれで理解できるところですが、博物館の標本も動物たちの死体から作られることが多いことも知っていただけたら幸いです。

 そうした標本を作るためには、関係者たちが死体と真摯に向き合い、標本化という工程を担うことになります。標本にするまでの過程では、確かに強烈な臭いが生じたりしますが、そういう工程を私たち専門家が担当することで、さまざまな活動や教育普及に活用していけるのも事実としてあります。

 実は、こうしたクジラの死体の漂着というのは、国内外ではよく起こっていることなんです。そういうとき、海外では標本にするということが多く、日本でも不可能なことではありませんでした。

 そうした事情を踏まえると、沈下という判断は、個人的には「死を遠ざけた」という印象なんですね。今回、大阪湾に迷い込んだマッコウクジラは「淀ちゃん」と名付けられ、全国の関心が集めました。だからこそ、「淀ちゃん」の標本化は、子どもたちに“いのち”について知ってもらういい機会だったのではないかと考えています。そうした機会が失われてしまったのは、非常に残念なことです。

 しかし、これは大阪市だけの問題ではありません。現代の日本全体がそういう生々しく、センシティブなところに目を向ける余裕がなくなっているように感じます。標本化を進めるためには、まず国民のみなさんにもこうした自然界で起こっている現実を知っていただくことが大切になります。それが不十分だったのかもしれない点は、私たちも反省しています。

 例えば、沈下が決定した後、クラウドファンディングをして資金集めに奔走するというアイデアが上がり、「そういう手もあったのか」と勉強になりました。多くの人に私たちの調査活動の意義を理解していただき、ご協力をいただくために、今後はそうした手段も活用していきたいと考えています。

―― 「淀ちゃん」と名前を付け、人間的に扱うことについてはどう思いますか?

田島先生: これは非常に個人的な考えですが、愛玩動物は別として、野生の動物を人間的に扱うということについては、少し抵抗があります。そのため、私はなるべく「大阪湾のマッコウクジラ」という呼称を使うようにしているんですね。ただ、皆さんの記憶に残るという点においてはよいことだも思います。

 一方で、人間的に扱うとするならば、今回のクジラの死体は変死体ということになります。人間であれば変死体は必ず法医解剖されることになっていますから、その理屈に沿うのであれば、今回も調査して死因を解明したあと、埋設して標本化するという方が自然です。そのあたりは曖昧になっているなと感じますね。

―― 最後に、沈下という判断に対してお考えをお聞かせください

田島先生: 犬や猫とかだと、「人間で言うと○○歳」のような言い方がありますよね。でも、クジラは正確な寿命が分かっていないので、そのように換算できない種が多くいます。

 今回、私は大阪湾のマッコウクジラについて「大人です」と判断しましたが、例えばいつから子を産めるのか、寿命はいくつなのかなどは分かりません。他にも、どこに住んでいるのかとか何を食べているのかとか、本当に当たり前のことすら分かってないんですね。

 「炭鉱のカナリア」という言葉はご存じでしょうか? 炭鉱には窒素やメタンなどの有害物質が発生していることがあるのですが、目には見えない上、昔は測量できる装置などがなかったこともあり危険でした。そこで、有毒ガスの濃度が高いと鳴き声が止むカナリアの性質を利用し、安全かどうかを確かめていたんです。

 クジラの場合も同じことが当てはまるのではないでしょうか。海洋にすむクジラに起こっていることは、いずれは人間にも生じるかもしれない。もっと言えば、今現在も影響を与えているかもしれません。クジラは哺乳類で、カナリアよりも人間に近い存在です。クジラを知るということは、私たち人間を知ることにもなります

 今回は十分に調査することができず、クジラの死因は不明なままですが、例えば、仮にそれが海洋プラスチックやDDTs、PCBsなどの海洋汚染によるものだったとした場合、私たち人間への影響も無視できません。

 死体からメッセージを紡ぐ――そのためにはまず知ることが大事です。大阪湾のマッコウクジラに関しては、日本の周辺に生息しているかどうかも、どうして迷い込んでしまったのかも分かっていません。「調査した結果分からなかった」のと、「調査しなかったから分からなかった」との間には、大きな差があります。

 大阪湾のマッコウクジラは「淀ちゃん」と名前を付けられ、全国的に多大なる注目を集めました。報道などを通じて「かわいそう」と感じた人も多かったと思います。それは、いうなれば、その瞬間、クジラの死は“他人事”から“自分事”になったということです。標本化が実現していれば、博物館を訪れた一人一人に生死について深く考えさせる、良質な教材になっていたと思います。

 当たり前が分からないと、異常は見えてきません。今回は、クジラの生態を解明し、私たち人間への影響を推し量り、そして、多くの国民に生命について考えてもらう絶好のチャンスでした。その機会が失われてしまったのは、とても残念なことです。

 ただし、それは大阪市だけの責任ではありません。繰り返しになりますが、その一端は、日本全体で自然や生物と向き合う余裕がなくなっていることにあるのではないでしょうか。今回の経験を通じて、見えてきたこともたくさんありました。私たちは、その反省を踏まえ、今度はご理解をいただけるよう、次につなげていきたいと思います。


 突如私たちの前に姿を現し、日本中の関心を集めたマッコウクジラ「淀ちゃん」。その行く末を見守る過程で、国内にはさまざまな感情や議論が生まれました。

 その死から、私たちは何を考えていくべきなのか。一体、その死とどう向き合っていくべきなのか。行政と学問、異なる立場からの見解を知り、一人一人が「淀ちゃん」の死について深く考えていく。それこそが、一番の弔いとなるのではないでしょうか。

 

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

昨日の総合アクセスTOP10
  1. /nl/articles/2411/13/news176.jpg 「明らかに……」 大谷翔平の妻・真美子さんの“手腕”を米メディアが称賛 「大谷は野球に専念すべき」
  2. /nl/articles/2411/14/news014.jpg ドクダミを手で抜かず、ハサミで切ると…… 目からウロコの検証結果が435万再生「凄い事が起こった」「逆効果だったとは」
  3. /nl/articles/2411/14/news042.jpg 夫「250円のシャインマスカット買った!」 → 妻が気づいた“まさかの真実”に顔面蒼白 「あるあるすぎる」「マジ分かる」
  4. /nl/articles/2411/14/news090.jpg ユニクロが教える“これからの季節に持っておきたい”1枚に「これ、3枚色違いで買いました!」「今年も色違い買い足します!」と反響
  5. /nl/articles/2411/14/news167.jpg 妻が“13歳下&身長137センチ”で「警察から職質」 年齢差&身長差がすごい夫婦、苦悩を明かす
  6. /nl/articles/2411/14/news187.jpg 人生初の彼女は58歳で「両親より年上」 “33歳差カップル”が強烈なインパクトで話題 “古風を極めた”新居も公開
  7. /nl/articles/2208/06/news075.jpg 「ごめん母さん。塩20キロ届く」LINEで謝罪 → お母さんからの返信が「最高」「まじで好きw」と話題に
  8. /nl/articles/2411/13/news162.jpg 「情報操作されてる」「ぜーんぶ嘘!!」 175R・SHOGO、元妻・今井絵理子ら巡る週刊誌報道を一蹴 “子ども捨てた”の指摘に「皆さん騙されてます」
  9. /nl/articles/2411/14/news035.jpg 160万円のレンズ購入→一瞬で元取れた! グラビアアイドル兼カメラマンの芸術的な写真に反響「高いレンズってすごいんだな……」「いい買い物」
  10. /nl/articles/2411/12/news194.jpg 「予約しました」 サッポロ一番の袋に見せかけた“笑っちゃいそうなグッズ”が話題 「サッポロ一番味噌ラーメン好きがバレちゃう」
先週の総合アクセスTOP10
  1. アレン様、バラエティー番組「相席食堂」制作サイドからのメールに苦言 「偉そうな口調で外して等と連絡してきて、」「二度とオファーしてこないで下さぃませ」
  2. 「母はパリコレモデルで妹は……」 “日本一のイケメン高校生”グランプリ獲得者の「家族がすごすぎる」と驚がくの声
  3. 「何言ったんだ」 大谷翔平が妻から受けた“まさかの仕打ち”に「世界中で真美子さんだけ」「可愛すぎて草」
  4. 「真美子さんさすが」 大谷翔平夫妻がバスケ挑戦→元選手妻の“華麗な腕前”が話題 「尊すぎて鼻血」
  5. イモト、突然「今日まさかの納車です」と“圧倒的人気車”を購入 こだわりのオプションも披露し光岡自動車からの乗り換えを明かす
  6. 「この動画お蔵かも」 親子デートの辻希美、“食事中のマナー”に集中砲火で猛省……16歳長女が説教「自分がやられたらどう思うか」
  7. 老けて見える25歳男性を評判の理容師がカットしたら…… 別人級の変身と若返りが3700万再生「ベストオブベストの変貌」「めちゃハンサム」【米】
  8. 「ガチでレア品」 祖父が所持するSuica、ペンギンの向きをよく見ると……? 懐かしくて貴重な1枚に「すげえええ」「鉄道好きなら超欲しい」と興奮の声
  9. 「デコピンの写真ください」→ドジャースが無言の“神対応” 「真美子さんに抱っこされてる」「かわいすぎ」
  10. 「天才」 グレーとホワイトの毛糸をひたすら編んでいくと…… でっかいあのキャラクター完成に「すごい」「編み図をシェアして」【海外】
先月の総合アクセスTOP10
  1. 50年前に撮った祖母の写真を、孫の写真と並べてみたら…… 面影が重なる美ぼうが「やばい」と640万再生 大バズリした投稿者に話を聞いた
  2. 「食中毒出すつもりか」 人気ラーメン店の代表が“スシローコラボ”に激怒 “チャーシュー生焼け疑惑”で苦言 運営元に話を聞いた
  3. フォロワー20万人超の32歳インフルエンサー、逝去数日前に配信番組“急きょ終了” 共演者は「今何も話せないという状態」「苦しい」
  4. 「顔が違う??」 伊藤英明、見た目が激変した近影に「どうした眉毛」「誰かとおもた…眉毛って大事」とネット仰天
  5. 「ごめん母さん。塩20キロ届く」LINEで謝罪 → お母さんからの返信が「最高」「まじで好きw」と話題に
  6. 星型に切った冷えピタを水に漬けたら…… 思ったのと違う“なにこれな物体”に「最初っから最後まで思い通りにならない満足感」「全部グダグダ」
  7. 「泣いても泣いても涙が」 北斗晶、“家族の死”を報告 「別れの日がこんなに急に来るなんて」
  8. ジャングルと化した廃墟を、14日間ひたすら草刈りした結果…… 現した“本当の姿”に「すごすぎてビックリ」「素晴らしい」
  9. 母親は俳優で「朝ドラのヒロイン」 “24歳の息子”がアイドルとして活躍中 「強い遺伝子を受け継いだ……」と注目集める
  10. 「幻の個体」と言われ、1匹1万円で購入した観賞魚が半年後…… 笑っちゃうほどの変化に反響→現在どうなったか飼い主に聞いた