鹿児島本線・折尾駅の名物駅弁が「かしわめし」となった理由:折尾駅「かしわめし(小)」(500円)
折尾を拠点に名物駅弁「かしわめし」を製造する東筑軒。2021年で誕生100周年、いかにしてかしわめしは誕生したのか。当時はどんな駅弁事情だったのか。東筑軒のトップに聞きました。
【ライター望月の駅弁膝栗毛】
「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。
福岡県北九州市の折尾を拠点に名物駅弁「かしわめし」を製造する株式会社東筑軒。今年(2021年)7月で、「かしわめし」の誕生から100周年を迎えました。いまも多くの方に愛される「かしわめし」。100年前、いかにして「かしわめし」は誕生したのか? 当時はどんな駅弁事情だったのか? どうして「かしわめし」とネーミングされたのか?「かしわめし」の誕生秘話を、東筑軒のトップに伺いました。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第28弾・東筑軒編(第3回/全6回)
博多〜大分間の特急「ソニック」。ブルーメタリックの883系電車とともに活躍するのは、「白いソニック」こと885系電車です。この車両も振り子式で、カーブでも高速走行できるのが特徴。気になる車内は、平成12(2000)年の登場以来、本革張りのシートが1つの名物として話題を呼んできましたが、現在はモケットに張り替えられた車両もあり、カーブでも体が滑りにくくなって、安定して乗車できるように改善が進みつつあります。
全ての特急「ソニック」が停車する鹿児島本線の折尾駅。福岡県北九州市八幡西区の折尾を拠点に駅弁を製造・販売するのが、株式会社「東筑軒」です。折尾駅はもちろん、鹿児島本線・黒崎、八幡、戸畑、赤間、福間の各駅と、筑豊本線・若松、直方の各駅に売店やうどん店を構える他、小倉・博多の駅や百貨店などにも販売拠点を持っている北九州随一の駅弁業者で、今年(2021年)7月1日には、創業100周年を迎えました。
東筑軒 佐竹真人社長 昭和32(1957)年6月12日、福岡県八幡市(現・北九州市)生まれ。64歳。東京都内の大学を卒業後、アパレル業界を経て、お父様が社長を務めていた株式会社東筑軒に入社。東筑軒発足から4代目。
100年前、「かしわめし」を製造・販売する駅弁店として、筑紫軒創業!
―今年(2021年)7月で100周年を迎えられましたが、東筑軒の前身にあたる会社が、折尾駅の構内営業を始められたのが、このタイミングだったんですね。
佐竹:大正10(1921)年7月1日に、鉄道省の門司鉄道局(当時)が東筑軒の前身の1社、筑紫軒(ちくしけん)に営業許可を与えたことに由来します。昔の文献によると、創業当時、普通弁当と上等弁当、いわゆる幕の内の2種類しかなく、特殊弁当、いまのようなご当地名物の入った弁当が、お客さまから強く求められていたと言います。そこで初代社長の本庄巌水(ほんじょう・いわみ)が、折尾駅で「かしわめし」を作ることを認められました。
―本庄巌水さんは、「門司運転事務所」所長をされていた方なんですね?
佐竹:いまの東筑軒・本庄正道(ほんじょう・まさみち)副社長の曽祖父に当たります。大正の初期、鉄道院(のちの鉄道省・国鉄)の門司運転事務所所長をしていました。本庄は鉄道に携わる立場として各地を旅した際、駅弁が画一化していることを痛感していました。そこで、郷土色を生かした駅弁づくりのため、大正10(1921)年に折尾駅で「筑紫軒」という弁当店を始めることにしました。鉄道省も本庄の鉄道事業への大きな貢献に鑑みて、前例のなかった「かしわめし」の製造と構内営業を認めることになったと言います。
鹿児島本線と筑豊本線の「立体交差」で賑わう折尾駅!
―折尾駅は、明治24(1891)年開業で、鹿児島本線・筑豊本線ともに今年で130周年を迎えますが、それまで折尾駅に駅弁はなかったんですか?
佐竹:折尾駅が100周年の際に記された書物には、明治25(1892)年に「駅弁当販売開始」という記述があります。これによると、九州鉄道では原作次郎(はら・さくじろう)さん、筑豊興業鉄道では富永惣平(とみなが・そうへい)さんという方が、駅弁を製造・販売していたようです。ただ、いまの東筑軒経営陣の先祖にはこの人物はおりませんし、当時の屋号もよくわかっていません。100年前、筑紫軒が折尾駅弁に参入した際、これらの業者が先にあったのか、交代して入ったのかは、よくわかりません。
―折尾駅と言えば、日本初の「立体交差」のある駅としても有名でしたね?
佐竹:明治28(1895)年に初代の折尾駅舎ができたとあります。このときに「日本初」の立体交差ができたのではないかと思われます。「鹿児島本線と筑豊本線との乗換駅としてとても重要な駅であり、旅客サービス上、とくに構内営業を求められていた」と文献にはありますので、駅弁の需要はとても高かったのではないかと思われます。しかも、当時は炭鉱が華やかなころで、鹿児島本線より筑豊本線のほうが利用者は多かったとも言います。
とりめしではなく「かしわめし」となった理由とは?
―西日本では鶏肉のことを「かしわ」と呼ぶのが一般的とされ、一説には“ぼたん”、“さくら”などと同じ隠語だったとも聞きますが、なぜ「かしわめし」を作ることにしたんですか?
佐竹:福岡では鶏の水炊きが名物になっているように、昔から鶏肉を好んで食べる土地柄です。そこで、鶏のスープの炊き込みご飯に、鶏肉と卵をあしらった「親子めし」を考案しました。しかし、当時の駅弁販売は立ち売りです。「親子めし〜」と声に出してみますと、「おやころし〜(親殺し)」に聞こえてしまうんです。そこで、名前を「かしわめし」に変更いたしました。当時は幕の内、おにぎり主体でしたから、「かしわめし」は本当に珍しい駅弁でした。
令和3(2021)年7月限定で登場した大正〜昭和初期の復刻掛け紙による「かしわめし(小)」(700円)。鶏の絵が描かれた黄色い掛け紙と折箱の間には、100周年を記念したしおりが挟み込まれ、“日本初の立体交差駅 折尾駅”の言葉とともに蒸気機関車と立ち売りの絵が描かれて、「かしわめし」の発売当初を彷彿とさせる構成で販売されました。100年間受け継がれてきた伝統の味が、この折にはギュッと詰まっているわけです。
【おしながき】
- かしわめし 鶏肉 錦糸玉子 刻み海苔
- 奈良漬け
- 紅生姜
学校が多く、若い世代の利用者も多い折尾駅。かつて折尾駅を使い、地元有数の進学校・福岡県立東筑高校に通った方に話を訊きますと、お腹が減ってどうしようもない学校帰り、駅の立ち売りの方から、最も手ごろな「かしわめし(小)」を買い求めて、空腹を満たしたと言います。北九州で育った方には青春の味に違いない東筑軒の「かしわめし」。100年の歳月を重ねて、世代を超え、いまも“ソウルフード”として愛される駅弁なのです。
電車が主役の鹿児島本線を気動車が力強く走ることがあります。目立つのは、JR九州自慢のD&S列車(観光列車)「かわせみやませみ」と「いさぶろう」。本来は熊本〜宮崎〜鹿児島を結ぶ肥薩線で活躍していますが、2020年7月の豪雨被害で運休中。いまは博多〜門司港間で特別運行されています。ちなみに、鹿児島本線の博多〜小倉間は、昭和33(1958)年、国鉄初の気動車急行「ひかり」が運行された区間。新幹線開業により「にちりん」となって、現在の「ソニック」の前身となりました。北九州でお目にかかったら、肥薩線沿線の応援も兼ねて、ぜひ楽しみたい列車です。
(初出:2021年8月13日)
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/
おすすめ記事
Copyright Nippon Broadcasting System, Inc. All Rights Reserved.