「世界を肯定してあげてほしいんです」 講談社ラノベ文庫編集長・猪熊泰則<後編>:東大ラノベ作家の悲劇――鏡征爾(2/3 ページ)
3 小説は次の器を探している
僕は、対談の最後に、一番知りたかった疑問をぶつけてみた。
それは、自分の悩みとも、リンクするものだった。
小説の低迷はすさまじい。
十年前に比べ、初版の部数は、半分以下となっている。
全体の売り上げはもっと下がっていると思う。
完全なダウン・トレンドである。
この事態に対して、現役のラノベレーベルの編集長・猪熊泰則氏は、どう考えているのか、知りたかった。
雨が降り始めていた。窓の外を眺める編集長に、僕は訊いた。
「編集長、」
「とらドラ……」雨の雫にも『とらドラ!』を見ている……。
「編集長!」
「はい」
ススス。と、『とらドラ!』の段ボールをこちらに寄せながら、応答する。
『スッ』
それを手で制して訊く。
「小説の現状について、どう思われていますか?」
すると編集長は、空いたスペースから『とらドラ!』の入った段ボール箱を瞬時にすべりこませながら、こう言った。
「小説は次の器を探しているんだと思うですよ」
時が、止まった。僕は、その言葉を繰り返すので、精一杯だった。
「器、ですか」
「ええ。紙という平面の媒体で、縦と横の、行と列にのる。そういう形が、終わりに近づいているんじゃないかと思うんです」
「行と列?」
「ええ」
「縦書きと横書きのことですか?」
「その通りです」
「たしかに、『小説家になろう』なんかのWeb小説は、タテ書きからヨコ書きに変わりました」
「そうです。文字が横に表示される形式が当たり前になったんです。例えば鏡さんの青春を語る上で欠かすことのできないノベル・ゲーム。美少女・ゲーム。美少女・ノベル・ゲーム」
黙ってほしい。
「鏡さんの大好きな美少女・ノベル・ゲーム――あれはアドベンチャー形式のもので、絵と音と、そしてそこに『文字』が入っている。文字を使った物語の、新しい形が生まれて、そこから新しい才能が、たくさん出てきたわけですよね?」
たしかに、その後『DDD』や『空の境界』で商業誌デビューを果たされたことで知られる奈須きのこさんは、『FGO(Fate/Grand Order』)や『月姫』といった、ノベル・ゲーム出身の作家だ。
「だから、小説は次の乗り物を模索しているんじゃないかと思うんですよ」
「言葉が次の乗り物を探している……猪熊編集長は、言葉を扱う人が、次の媒体を探す――そういうフェイズに入ってきていると?」
非常にわかりやすい例えだ。
「では、その『新しい形』とは、一体どのようなものになるのでしょうか?」
4 辺境から新しいものは生まれる
「それは非常に難しい質問ですね。それに答えられたら、われわれだってとっくにやっている。ただ、これだけはいえます。もうすでにあるんですよ。新しいものは。もう活動しているはずなんです。例えば萌え系ラノベの次に何がくるんだろうといわれていた時に、『なろう系』と呼ばれる、Web発の小説がでてきた。『ソード・アート・オンライン』なんかも、Webサイトで連載されていたものですよね。つまり、十年前から、すでに今のメイン・ストリームの原型となる新しい形はあったんですよ。気が付かないうちにすでにあって、誰かが発見してくれるのを待っているんです」
雨音が、大きくなった。
コーヒーの苦味が、いつの間にか舌先から消えてしまう。
「歴史的にも、全部そうじゃないですか。歴史が変わる時は、辺境から異民族が現れて、中央にやってきて、昔からあったものを吸収しながら、文化も文明も塗り替える。文化が辺境から入っていく、っていうのは常にそうで、それは、現代のエンターテイメントにも当てはまる」
ライトノベルもそうですか?
「はい。ライトノベルは、最初、辺境にあった。バカにされるようなものだったわけじゃないですか。それなのに、いつのまにかそれがメイン・ストリームに変わってしまった。Web発の小説だってそうですよね?」
確かにそうだ。紙という暗黙のルールを破ってしまう。
「辺境から入ったものがメインストリームになって、また新しいものに変わる。そういったことが、人間の間でも繰り返されているんです。もともと日本の漫画人は、映画をつくりたかった人ですよね。でも、映画ができないから、漫画にいった。映画をやろうとして、そのハードルが高くてやれないから、富野由悠季さんみたいにアニメにいった。それと同じなんですよ。漫画が書けないから、小説を書く。絵がやれないから、小説にする。メイン・ストリームを変えるのは辺境で、辺境ではもう何か起こっているんだけれども、メイン・ストリームにたどり着けない人たちがこの世界のどこかですでに新しいものをつくっている。だけど、まだ見つけられないていなくて、『それら』は発見されるのを待っている」
5 一番バカにされているところに、才能は集まる
才能は、辺境に集まる。
そして、見つけられるのを待っている。
「では、その『辺境』とは、どこにあるとお考えなのでしょうか」 その時代に、最もうらやましがられる場所に才能は集まる。それが、一般的な、編集者のなかでも、かなり上位のレベルいらっしゃる方の共通了解だと感じる。
だが、猪熊編集長は、さらに上をいく解答を口にした。
「『辺境から、新しいものは生まれる』たしかに、それはわかりました。では、辺境は、いま、どのような場所にあるのでしょう?」
「その時代に、一番バカにされているところに才能は集まるんです。映画でいえば、かつては、日活ロマンポルノに才能が集まった。その後、美少女ゲームみたいなところに才能は集まった」
「なるほど……麻枝准さんや奈須きのこさん、竜騎士07さんや丸戸史明さんなんかもそうですよね。ラノベもそうですか?」
「はい。出版のなかでバカにされるかもしれない、指さされるかもしれないところ。ラノベだってもともとそういうバカにされる類のものだったはずじゃないですか。マンガだってもともとそうだったはずです。同じなんですよ、結局は。その時代、時代において、人に一番バカにされるようなところに、才能は集まるんです。要するに、権威じゃないところに才能は集まるんですよね。そこには先人がつくったルールがない。だから、自由なんです」
だから、自由なんです。
そう繰り返して、編集長は子供のように笑った。
クシャクシャになった目元の皺は、涙の跡を越えた人間がもつ、しなやかな強さに満ちていた。
そして、最後に、こう言った。
「世界を肯定してあげてほしいんです」
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