ねとらぼ
2021/11/28 19:25(公開)

今日書きたいことはこれくらい:「何もかもが剥き出しになったRPG」ダンジョンエンカウンターズを遊んだ話

押しつけがましいくらい、開発者の声が聞こえまくるRPG。

 いきなり関係ない話から始まって恐縮なんですが、皆さん国語や現代文の試験で、「作者の気持ちを答えなさい」っていう問題、見たことありますか?

 Webだと「悪問の代表」みたいな立ち位置でしばしば話題にのぼりますよね。ときには、「こんな問題があるから日本の国語教育はダメなんだ」なんて言われたりすることもあります。私自身は、評論文や論説文で作者の意図を考えさせる問題ならともかく、小説や物語でこの手の問題を見たことがほとんどなくって、ホントに一般的なのかなそういう問題? って疑問に思うこともあるんですけど。

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ライター:しんざき

しんざき プロフィール

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ、三児の父。ダライアス外伝をこよなく愛する横シューターであり、今でも度々鯨ルートに挑んではシャコのばらまき弾にブチ切れている。好きなイーアルカンフーの敵キャラはタオ。

Twitter:@shinzaki


 ただ、あくまで個人的な趣味の範囲での話なんですが、こと「ゲーム」という分野においては、私は「作者の気持ち」や「作者の意図」を妄想するのが大好きです。

 このゲームを作った誰かは、どういう意図を込めてこのデザインにしたんだろう? とか。どんな気持ちでこのメッセージを、この世界観を作り込んだんだろう? とか。

 ゲームを攻略するという行為には、「開発者さんとの勝負」という側面もあります。開発者さんが作り込んだ難問をどうやって解くか。開発者さんが用意した障害をどう乗り越えるか。開発者さんが作り込んだコンテンツをどこまで楽しめるか。ときには、開発者さんが予想だにしていなかったであろう遊び方、楽しみ方を発見できることもありまして、そういうときには何ともいえない達成感を感じることができます。

 開発者の意図の読み解き、開発者との読み合い。「作者の気持ちを答えなさい」というのは、私にとっては「ゲーム攻略」の一部なのです。

 ところでここ最近、「ダンジョンエンカウンターズ」公式サイト)というゲームをひたすら遊んでいます。スクエニから発売された、PS4やSwitch、PC(Steam)で遊べるRPGです。

ダンジョンエンカウンターズ

 まだまだ「遊び尽くした」といえるほどプレイできたわけではないんですが、それでも夢中になってダンジョンを徘徊(はいかい)してマップを踏んでは、新しい武器を見つけてわくわくしたり、仲間を吹っ飛ばされて必死に探索したり、パーティを全滅させて泣きながらセカンドパーティを鍛えたり、大量の借金を抱えて死んだ目で金策をしたりしています。トレジャーリセットマジでどうにかしてほしい。

 このゲーム、何がすごいって、本当になにもかもが「剥き出し」なんですよ。「普通ならそこは隠すだろ?」とか、「何かしらフレーバー被せてごまかすだろ?」みたいなところが、全く、一切隠されてないんです。ゲームの「骨組み」みたいなものが、全てそのまんまプレイヤーの前にさらされている。しかもその「骨組み」は、あちこちとがりまくっていて、プレイヤーの柔らかい部分にブッ刺さりまくる。骨削って作ったヤリかよ、ってくらいとがりまくってるんです。

 結果、上で書いたような「開発者さんの意図」みたいなものが、もうものすごく明確に伝わってくるんです。むしろ、プレイしてる間中ずっと、開発者さんが耳元でぶつぶつ語り掛けてくるような気さえする。

 「ここはこういう風に楽しんでくれ。むしろこれが楽しいと思えるヤツだけこのゲーム遊んでくれ」とか。「このゲームが好きなヤツなら、こういうギミックも好きだろ?」とか。「こんな要素いらないだろ? これで十分面白いだろ?」とか。恐らく、このゲームをちょっとでも遊んだ人なら、大なり小なり同じような「声」が聞こえたんじゃないでしょうか?

 押しつけがましいくらい、開発者の声が聞こえまくるRPG。

 ダンジョンエンカウンターズというゲームを、私はそういう風に捉えているのです。

 本記事では、しばらくダンジョンエンカウンターズを遊んだ上での、現時点の私の感想を書き連ねてみたいと思います。いつものことですが、依頼を受けたPR記事ではなく、私が書かせてくださいと頼み込んで書いている記事です。よろしくお願いします。


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剥き出しのシステムと、最小限のフレーバーだけで構成されたゲーム

 皆さん既にご存じかもしれないですが、ダンジョンエンカウンターズがどんなゲームかということについて、まずは簡単に説明させてください。

 ダンジョンエンカウンターズは、一言で言うと、「何もかもが剥き出しになったダンジョン探索RPG」です。

 ダンジョン探索とはいっても、おどろおどろしい洞窟や古めかしい古城の中を探索するようなフレーバーはなく、マップはまるでシンプルなボードゲームのようなそっけない見た目です。しかも、マップのあちこちに「03」とか「08」とか「AC」とか、これまたそっけないイベントマスがあって、プレーヤーには「どこに行けば何が起こるか」が事前に全て開示されています。

ダンジョンエンカウンターズ

 同じ数字のマスは基本的に同じ機能しか持っていないので、ちょっと慣れれば見ただけで「あ、これは○○が起きるマスだな」「ここに行けば▲▲が出てくるな」ということが分かってしまいます。このマップを踏破して埋めていくことが、ゲームの基本的な目的の一つです。

 まずこの開示具合がすごくって、「どのイベントマスで何が起きるか」というのは、ゲーム開始時点で一通り参照できてしまうんですよ。うっかりすると「どんなアイテムが手に入るのか」「どんな敵が出てくるのか」「どんなアビリティが手に入ることになるのか」まで全部分かります。

ダンジョンエンカウンターズ
ダンジョンエンカウンターズ
ダンジョンエンカウンターズ

 イベントマスには「体力が回復できるマス」やら「武器や装備が買えるマス」やら「敵が出てくるマス」やらがありまして、そこを踏まない限り、マップ上でランダムに発生するイベントは一切ありません(隠れているマスはありますが)。ここまで「ランダム性」というものを削ぎ落して、何もかも丸見えにしたRPGというのも珍しいのではないでしょうか。

 戦闘についても、もちろんランダム要素が全くないわけではないんですが、戦闘の主要な部分はほぼ剥き出し。FF5などと同様のATB(アクティブタイムバトル)で行動順が可視化されており、装備にどれだけのダメージが出せるのかも全て表示されていて、ダメージ計算も「単に攻撃力分のダメージが入るだけ」と非常に単純。プレイヤーはほぼ「行動結果の事前の予測」が可能になっています。

ダンジョンエンカウンターズ

 戦闘の特徴として、「物理防御」と「魔法防御」という二つの数字があって、攻撃にもそれぞれ「物理」と「魔法」という属性があります。物理防御か魔法防御、どちらかが削り切れるまで、HPにダメージを受けることはありません。どんなに強い攻撃を喰らっても、1回は必ず生き残れる、ということになります。

 ところが戦闘のバランス自体はかなりシビアで、敵は何の遠慮もなくガンガン強くなっていきますし、敵の特殊攻撃も超凶悪。例えば「石化」は「そもそも石化した仲間を連れ歩くことができず、一度仲間をその場に残して、特定マスに行って回復させなくてはいけない」という鬼畜仕様。パーティを一撃で半壊させていく敵もいれば、お金を根こそぎ盗んでいく敵もいます。特にお金については、本作「マイナスの所持金」つまり借金が発生することもありまして、さまざまな効果を持ったトラップ床も含めて、プレイヤーを徹底的に苦しめるギミックには事欠きません。

 とはいえ、本作「強力な武器や魔法を手に入れることで一気に戦闘が楽になる」という一面もありまして、この点は強烈な爽快感要素になっております。新しく手に入れた武器で一気に物理防御を削るの、正直脳汁出るくらい気持ちいいです。まあ、せっかく手に入れた貴重な武器を破壊する凶悪な敵もいるんですが。

 一方フレーバーの話なんですが、ゲーム開始直後、プレイヤーに開示されるシナリオ、わずか6行です。

ダンジョンエンカウンターズ

 マジかよってくらいのシンプルさですよね。各キャラクターについても、最低限の顔グラフィックや種族が類推できる見た目、最初から行方不明になっているメンバーもいたりといった「物語」を想像させる要素はあるものの、ゲームのほとんどの部分は「ご想像にお任せします」というくらいプレイヤーに明け渡されています。マップがなぜこういう形をしていて、こういう敵がなぜここにいるのか、ということまで、全ては遊ぶ側の想像次第。

 プレイヤーに「見えない」部分を極小化した、剥き出しのシステム。遠慮会釈なくシビアになっていくゲームバランス。ごまかしというものが全くないシンプルなフレーバー。

 これらが組み合わさった結果どうなるかというと。ダンジョンエンカウンターズを遊んでる間、プレイヤーは「とにかく徹底的に考える」ということをひたすら要求され続け、それに答え続けていくことになるのです。

 例えば戦闘一つとっても、誰がどういう順番で攻撃することになるのか。敵の物理防御と魔法防御をあとどれだけ削ればHPにダメージを与えられるか。どういう順番で攻撃すれば効率良く倒せるか。こちらはあと何回ダメージを喰らうと戦闘不能になってしまうか。どう攻撃すれば特殊攻撃を受けないで済むか。考えないといけないことは山ほどあり、ちょっとでも気を抜くとパーティは簡単に全滅コースをたどります。

 そして当然、全滅しても教会に戻れるわけではなく、パーティは丸々戦闘不能のままダンジョンに取り残され、他のパーティで回収しにいかなくては冒険に連れ出せなくなってしまう訳です。Wizardryのような一部のダンジョンRPGではおなじみの仕様ですが、ダンジョンエンカウンターズにおいてもその点は非常にシビアです。

 マップについても、「行くか進むか」といったシンプルな押し引きの判断から、どの順番でどのイベントをこなしていくかという判断、数値問題や地図問題などの謎解き(参考までに、この謎解きも階を進むごとにどんどん高難度になっていきます)、見えないマスがどこにあるかを推測したりといった要素もあります。むしろ、完全に剥き出しになっているからこそ、「どこに何があるのか」を徹底的に考えながら進まないとあっさり地獄に落ちる、という側面もあるわけです。

 一方、このゲームの「物語許容度」というものもこれまたものすごく、もともとのフレーバーがシンプルなだけに、「そこにどんな物語があるのか」を自分で想像すればするほど楽しくなります。このキャラクターはこんな性格。このキャラクターはこのキャラクターと仲が良さそう。このマップは、本当はこういう見た目なのかもしれない。そういう「後付けのフレーバー」を、自分で考えれば考えるほど、ダンジョンエンカウンターズはどんどん楽しくなっていきます。自分で物語を考えられる。「自分自身の物語をいくらでも詰め込めるRPG」と表現することもできるでしょう。

 そこから考えると、

  • シビアなゲームバランスを突破して達成感を得るのが好きな人
  • 戦略的な思考を駆使してハードルを越えていくのが好きな人
  • シンプルなフレーバーに自分で想像を被せていくのが好きな人

 こういった要素が刺さる人ならダンジョンエンカウンターズを楽しめる可能性はかなり高い、一方そのへんの要素が刺さらない人は逆に一切楽しめないだろう、ということについては、恐らく断言してしまっていいのはないか、と私は思っているのです。

 どこまでも徹底的に、「思考」を要求されるRPG。考えれば考えるほど面白くなる一方、さらっとしたプレイ感とは真逆に、さらっと遊ぶにはまるで向いていないRPG。ここではいったん、ダンジョンエンカウンターズにそういう枕言葉を与えてみたいと思います。

ダンジョンエンカウンターズ

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「こういうゲームだから、これが楽しめるヤツだけ遊んでくれ」

 ここで、最初に書いた「開発者さんの声」という話に戻るんですが。

 上記したようなダンジョンエンカウンターズの特徴を読んでいただければお分かりかと思うんですが、このゲーム、とにかく一切「ごまかし」がないんですよ。シビアな部分もそっけない部分も、全部最初からプレイヤーの目の前に並んでいて誤解の余地がない。「ここを楽しんでほしい」という売りが明確な反面、「その商品はうちにはおいてありませんよ」的なハードルの高さもあからさま。

 RPGの楽しみ方って、本来いろいろありますよね。「シナリオのドラマ性を楽しむ」「キャラクターの会話を楽しむ」といった楽しみ方も、本来はれっきとしたRPGの楽しみ方です。実際、「遊びにくいけれどシナリオは素晴らしい」とか「高難度だけどキャラクターの掛け合いが小粋」みたいな評価を得ているゲームだってたくさんあります。

 ところがダンジョンエンカウンターズは、そういう要素をかんっっっぜんに、1ミリも残さず切り捨てている

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 ここで「広い層へのリーチ」みたいなものをもし作り手が考えていれば、世界観なりシナリオなりNPCとの会話シーンなり、ゲームをお化粧して楽しみどころを増やす、という選択肢もあったはずなんです。ましてこれ、別にインディーズのゲームというわけでもなく、あのスクエニが作ったゲームですからね。やろうと思えばシナリオでもフレーバーでもBGMでもいくらでも充実させられるだろうに、あえてここまでシンプルなゲームに仕上げたのは、

 「こういうゲームだから、これが楽しめるヤツだけ遊んでくれ」

 という、ものすごーーくあからさまなメッセージだと思うんですよね。

 入口の部分で遊び手を選別しておいて、内部では天井知らずにシビアになっていくゲームバランス。まさに、

 「ここまで来たってことは、キミらこういうの好きでしょ?」

 と開発者さんに面と向かって言われているような気さえするんですよ。男の子ってこういうの好きなんでしょ構文です。

 ああ好きさ。好きだよちくしょう。今も泣きながらセカンドパーティ育成してるよ。

 大変じくじたる思いながら、私自身、開発者さんの手のひらの上で踊り狂ってしまっている自覚があるわけです。これらをひっくるめて、現時点のダンジョンエンカウンターズに対する個人的評価は、「極めて遺憾だけど面白い」「けれど人にお勧めはしにくい」という内容に落ち着くわけです。


「ネバーランドのカボチャ男」に近い感覚

 最後にちょっとだけ、脇道にそれることをご勘弁ください。

 ダンジョンエンカウンターズを遊んでいるときの感覚、何に似てるって「ゲームブックを遊んでいるときの感覚」に非常に近いです。それも、極めて個人的には、林友彦先生の「ネバーランドのカボチャ男」という一作を遊んだときの感覚がめちゃ近くって、これもちょっと紹介させていただきたいんです。

 皆さん「ゲームブック」ってご存じですか? 以前も一度記事を書かせていただいたんですが、要は「本とゲームが融合した遊び」というのが一番シンプルな説明だと思うんですが。

 ゲームブックにも作者さん次第でいろんな作品がありまして、シンプルな作品もあれば複雑な作品もあります。そんな中でも、鈴木直人先生と林友彦先生のお二人については、「ゲームシステムとストーリーが極めて完成度の高いコンビネーションを保っている」という点で、ゲームブック作家の二大巨頭と勝手に呼ばせていただいているんですが、その林友彦先生のゲームブックの一作が「ネバーランドのカボチャ男」です。

ダンジョンエンカウンターズ

 この「ネバーランドのカボチャ男」って、ゲームブックの中でもちょっと特殊でして、ボードゲームと融合したような作りになっているんですよ。上の画像でご覧いただけるように、本にマップが添付されていて、プレイヤーはこのマップと組み合わせてゲームを遊ぶんですね。サイコロを振ってどこに進むか選んで、出たマスに書いてある項目を読む。するとそこで何かしらイベントが発生して、そのイベントを読み解きながら探索を続けることになる。

 この作品、他のゲームブック以上に「あなた次第」という部分が大きくって、林先生の他作品に比べればストーリー展開も抑え目ですし、一方「探せば探すほど楽しくなる」ギミックも山盛りなんです。どこで何が起きるか、事前に全部開示されているのに、ただ進んでいるだけでワクワクする。フレーバーはあっさり目で、味付けは遊ぶ人次第。

 もともと「TRPGを本でできるようにした」というのがゲームブックなわけですが、「それをさらに先祖返り的にTRPGに寄せた」ゲームブックが「ネバーランドのカボチャ男」なわけです。

 極めて個人的な体験なんですが、ダンジョンエンカウンターズを遊んでいてビシバシ感じたのが「うおーーーーこれカボチャ男だ……!!」って感覚なんですよね。「徹底的に考えさせられる」という側面も含めて、「ゲームブック」が好きだった人には、ちょっとダンジョンエンカウンターズを遊んでみていただきたい、と思う次第なのです。


まとめ

 ということで、長々書いてまいりました。

 最後に簡単に話をまとめてみますと、

  • ダンジョンエンカウンターズは「何もかも剥き出し」という点で極めて特徴的なダンジョン探索RPG
  • シビアさの中にも「考えれば考えるほど有利に進める」というバランス調整は素晴らしい
  • ただし遊ぶ人は極めて厳密に選ぶ
  • ゲームブック好きな人にはおすすめかも
  • 石化の仕様だけは鬼畜すぎると思うので考えた人軽くお腹壊してほしい

 という感じになるわけです。よろしくお願いします。

 今日書きたいことはこれくらいです。


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