海軍カレーならぬ“陸軍ナポリタン”って知ってる? 『モキュメンタリーズ』に感じるマンガの可能性
「虚構新聞・社主UKのウソだと思って読んでみろ!」第83回。現実と虚構の狭間をよく知る社主が感じたマンガの新境地。
ねとらぼ読者のみなさん、こんにちは。虚構新聞の社主UKです。
突然ですが、「海軍カレー」という料理をご存じでしょうか。20世紀初頭、大日本帝国海軍が栄養バランスの取れた軍隊食として採用したカレーライスのことで、以後「海軍カレー」として普及し、現在でも「海上自衛隊カレー」と名を改め、「艦めし」の1つとして海上自衛隊のサイトでも紹介されています。
しかしその一方、海軍カレーに対抗して大日本帝国陸軍が開発した軍隊食「陸軍ナポリタン」は今や忘れ去られたものになってしまいました。今回紹介する百名哲先生のマンガ『モキュメンタリーズ』(〜1巻、以下続刊/KADOKAWA)に収録されている「陸軍ナポリタン」は、その知られざる歴史に脚光を当てています。
語られる陸軍ナポリタンの秘話
『モキュメンタリーズ』の主人公は零細マンガ家の百野哲。その友人であるマリちゃんの曽祖父・芝村練三郎こそ、この陸軍ナポリタンの考案者でした。
武家に生まれた練三郎は、幼いころから料理人を志すも、厳格な父親がそれを許さず、失意のうちに陸軍に入隊。しかし、陸軍で料理の腕を発揮して炊事兵に選ばれたことをきっかけに、彼は士官学校の炊事担当に抜てきされました。
料理番としての居場所を見つけた練三郎に、ある日陸軍大尉から声がかかります。それは海軍名物「海軍カレー」に匹敵する陸軍の名物料理を開発することでした。
「陸軍は海軍よりたくさんの食材に恵まれているのに 海軍は工夫で陸軍に勝っているなどと言われているのだという けしからん!」
この大尉の号令によって始まった調理がしやすくておいしい洋食の開発――。もともと繊細な味わいの京風割烹(かっぽう)を目指してきた練三郎にとって、洋食の開発は己の信念を曲げるような命令でもありました。しかし自分の中の何かが吹っ切れたかのように、練三郎は不眠不休で厨房に向かい続けます。
「油っこいものが好きなだけのバカが喜ぶ油まみれの兵食を」
こうして出来上がったのが、保存がきくピーマンや玉ねぎ、ソーセージを具材に使った「伊太利亜饂飩(イタリアうどん)のトマトソース炒め」。私たちにとってなじみ深いあのナポリタンの原型となる料理でした。
ところが、悲劇が練三郎を襲います。兵食・イタリアうどんは大尉に認められて「陸軍ナポリタン」の名を得たものの、油ものを嫌う参謀からひどく叱責され、さらにその責任を負うかたちで閑職へと追いやられます。
しかし、練三郎はくじけませんでした。覚悟を決めて士官学校を除隊すると、苦心の末に作り上げた陸軍ナポリタンを引っさげ、あえて陸軍のお膝元・市谷に洋食店を開きます。洋食ブームの追い風に乗った練三郎の店と陸軍ナポリタンはまたたく間に人気メニューに。しかも不採用になっていたはずの陸軍内でも、陸軍ナポリタンが兵食として提供されるようにもなりました。
「練三郎は勝った 自分の夢を否定した田舎の因習にも 濡れ衣によって料理の場を奪い取った軍隊にも」
人生の勝利を得た練三郎の人生は、この後大きな波乱を迎えることになるのですが、それは「陸軍ナポリタン」という名前が消えた理由も含め、実際に作品を読んでいただくとしましょう。
ごめんなさい、陸軍ナポリタンなんてありません
……と、陸軍ナポリタン誕生の知られざる歴史について簡単に紹介してきましたが、ここで大事なお知らせがあります。
この話、ウソです。
少し調べれば分かることではありますが、海軍カレーと双璧を為す陸軍ナポリタンというメニューはこの世に存在しません。もしここまで読んで陸軍ナポリタンの知られざる歴史が危うく脳に刻み込まれそうになった方は今すぐ忘れてください。そして石を投げるのはあと5分だけ待ってください。
そもそも本作のタイトルにもなっている「モキュメンタリー(mockumentary)」という言葉。これは、まがいもの・作り物を意味する「モック(mock)」+「ドキュメンタリー(documentary)」の合成語で、言い換えれば「虚構ドキュメンタリー」のような作品を指します。例えば今から10年近く前、英国の公共放送BBCがエイプリルフールに放送した短編動画「空飛ぶペンギン」も、そんなモキュメンタリーの1つといえるでしょう。
本作「モキュメンタリーズ」もその名の通り、「陸軍ナポリタン」のほか、ネットオークションで同じアダルトビデオばかり落札し続ける謎の人物「Tig****」さんの正体を追う「Tig****はWEB上から消えた」など、まるで実際にあったかのようなモキュメンタリーマンガを4話収録しています。著者によると「半分から9割までフィクションの濃度はまちまち」だそうですが(あとがきより)、いずれにせよ現実と虚構が入り混じって、その境目があいまいになる不思議な感覚こそモキュメンタリーの醍醐味であるともいえるでしょう。
さて、ここまで書けば、なぜ今回社主が本作をおすすめしたのかお分かりいただけたかと思います。あたかもその出来事が事実として存在するかのように語るモキュメンタリーは、新聞の文体を借用しながらあり得ないことをもっともらしく書く本紙「虚構新聞」と考え方がとてもよく似ているからです。
マンガも現実と虚構の狭間を描ける
先に書いたように、本作にはミステリー系や感動系などドキュメンタリータッチの物語が4本収められていますが、モキュメンタリー本来の意味から言えば、やはり第4話「陸軍ナポリタン」は出色の出来です。
あまり詳しく書くと手品の種明かしのように興がさめるので控えますが、「陸軍ナポリタン」回には「実在する事物に依拠すること」「多くの人がにとって親しみあるものをテーマにすること」「固有名詞の使用」「初見での意外性」などモキュメンタリーがうまく働くための要素がしっかりと詰まっていて、「実際にあるかもしれない」と読み手に信じさせるだけの説得力を生み出しています。「陸軍ナポリタン」に関して言えば、これを使って自分でも虚構記事を1本書きたくなるほどでした。
リアルなドキュメンタリーがコンテンツとして混在するテレビやネットと異なり、最初から「作り話」であることを分かったうえで読み始めるマンガという媒体でモキュメンタリーを作るのはなかなか難しいのではないかと思いながら手に取った本作ですが、「陸軍ナポリタン」を読むうちにマンガでも現実と虚構の狭間を縫うように描く物語を作れる可能性を感じました。次巻ではどのようなモキュメンタリーが読めるのか期待しつつ、今日はこれにて筆を置きます。
今回も最後までお読みくださりありがとうございました。それではどうぞ、今から石を投げてくださって結構です。
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