「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」が“全く別の新しい映画”になった理由 花澤香菜の声の催涙効果を見よ(2/2 ページ)
また、“オトナ”な印象も強くなっていくと前述したが、今回の「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」では明確に“性的”なシーンが登場する。2016年版しか知らない人にとっては、びっくりするか気まずくなってしまうかもしれないが、間違いなく今回のすずの複雑な心境を描くためには必要であった(子どもが見ても問題がない程度でもある)。心して、見届けてほしい。
花澤香菜の演技の“ただ事じゃなさ”
この「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」には、2016年版にはいなかった“テル”というキャラクターが登場する。彼女はリンと共に遊郭で働く女性であり、演じているのは押しも押されもせぬ人気声優の花澤香菜だ。
彼女は客となった若い水兵と川に飛び込み、風邪をこじらせてしまうのだが、偶然にすずと出会い、とある形で交流をすることになる。その時の“咳”の演技について、片渕須直監督は、花澤香菜に「ただ事じゃないようにしてほしい」と注文をつけたのだそうだ。 はかなく、けなげな少女の印象から、病状が深刻そうな“咳”への転換……花澤香菜の繊細な演技が、その背景を言葉で語らずとも伝えてくる。
テルの存在はリンと同じく、2016年版にもあった前後のシーンの意味を、そして映画全体の印象をもガラリと変えていく。彼女の登場シーンは決して多くはないはずなのに、絶対に忘れられないほどの、愛おしい存在にもなっていくのだ。
ちなみに、片渕素直監督はこうの史代の原作マンガのテルのセリフから、「九州地方の方言に思えるが、“〜ちゃ”という瀬戸内の言い方も混じっている。筑後の炭鉱出身ではないか」とその出身地まで推測してキャラの背景を分析し、演技指導に生かしていたのだとか。その観察眼は恐ろしいほどだ。
より“四季”を感じられる作品に
前述したテルのエピソードには、すずが“雪に絵を描いてあげる”という、季節が冬でないと成立し得ないシーンがある。原作から存在しているシーンではあるが、片渕須直監督によると「昭和20年2月25日に日本全国で大雪が降った」という事実も反映しているのだそうだ。
さらに、予告編などで印象的な“桜の木に登る”というシーンも、言うまでもないが季節が春でないとあり得ない。さらには、“秋”のエピソードも登場する。昭和20年9月の枕崎台風での出来事が追加される他、秋ならではの“生活”を存分に感じられるシーンもある。
そう、この「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」では、2016年版に比べ明らかに“四季を感じられる”シーンが多くなっている。
なお、劇中ですずがお嫁に来たのは昭和19年2月のことであり、昭和21年1月までが映画でのメインストーリーとなっている。つまりは、春夏秋冬は劇中で必然的に2回訪れているのだ。
2016年版でも夏のシーンは存在したが、今回の「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」で、春、秋、冬という“四季の移ろい”がさらに描かれたことで、2016年版では“空白”であった時間を埋めるだけでなく、さらに“あの時代を体験した”という感覚が得られるということ……これも本作の大きな意義だろう。
もはや“写経”? 尋常ではないスタッフのこだわり
この「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の新規シーンは前述したように約39分間だ。これだけ聞くと短いように思えるかもしれないが、2018年12月公開の予定からまるまる1年の延期がされ、2016年版の公開から数えると3年の月日をかけて製作されている。実際に見れば、「そりゃ3年もかかるよ!」と納得できるのではないだろうか。
スタッフの尽力で特に注目してほしいのは、リンが着ている複雑な柄の着物だ。リンが動くたびに着物を1枚1枚描いているのはもちろん、リンの“身体の丸み”も反映しなければ不自然になってしまう。今回から“着物の柄作画”として8人のスタッフが新たにクレジットされており、その1人はその作画のつらさを「写経のようだった」と振り返るほどであった。
その他、小松菜の種を植えていく動作、テルが“窓を閉めるタイミング”の計算、美しい桜の木への登り降りや、“口に紅を塗ってあげる”細かやな動きなどに至るまで、新規カットは尋常じゃないつくり込みがされている。
そこまでこだわって作画をする意味があるのか? と問われそうなところだが、筆者は「ある」と断言する。2016年版もそうだが、繊細な作画によりキャラクターが“生きている”と思えること、それこそがアニメーションの面白さであり豊かさなのだから。ここまでつくりこんでくれてありがとう……と心から感謝を告げたくなった。
なお、コトリンゴによる楽曲も新規に4曲が追加されており、エンディング曲の「たんぽぽ」にもアレンジが加えられている。エンドクレジットの最後まで、ぜひ聴き入ってほしい。
「幸福路のチー」と「ブレッドウィナー」も要チェック!
紹介した点以外にも「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」にはたくさんの発見があるだろう。2016年版を既に見たという人はもちろん、初めてこの物語に触れるという方にとっても、忘れられない映画体験になるはずだ。
また、現在は台湾製のアニメ映画「幸福路のチー」が公開中であることも伝えておきたい。豊かなアニメの表現はもちろん、“空想”の世界が描かれ、“あの時代”の生活を体験できることなど、「この世界の片隅に」との共通点が多い作品なのだ。詳しくは以下の記事を参考にしてほしい。
さらに、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の公開日と同日の12月20日より、恵比寿ガーデンシネマで「ブレッドウィナー」というアイルランド・カナダ・ルクセンブルク合作のアニメ映画が公開されている(以降も全国で順次公開)。Netflixで「生きのびるために」とのタイトルで配信中でもある同作は、2001年アメリカ同時多発テロ事件後のアフガニスタンを舞台に、一家の稼ぎ手(Breadwinner)になるために男装する少女の物語がつづられている。
「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」「幸福路のチー」「ブレッドウィナー」はいずれも、過酷さと楽しさにあふれた現実の歴史を、リアルな“生活”として、アニメーションの豊かな表現により“体験”できる作品だ。ぜひ劇場で見届けてほしい。
(ヒナタカ)
参考:ラジオ番組「アフター6ジャンクション」 - 「アニメーション映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』公開記念。“わたしたちと『この世界の片隅に』”特集」/ドキュメンタリー映画「<片隅>たちと生きる 監督・片渕須直の仕事」
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